にがくてあまい午後

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第一章

籠の鳥ーJAILBIRD-

亜美は、目を覚ました。

少し、汗の匂いのする、何日も取り替えられていないシーツ。ふかふかの枕。何年も前に買った、紺と青のベッドカバー。うすい染みのついた白い木のベッド。

部屋は、年代物だが、それなりに値の張った家具で、きちんと埋められている。大きめのブラウンの書斎机、お揃いのガラス窓のついたこげ茶色の本棚、同じく茶色の、大ぶりの木製のライトスタンド。

窓からは、隣の柿の木がよく見える。ここ15年間、繰り返し繰り返し見てきた朝の風景だ。

亜美は、背を伸ばすと、瞬きをした。・・・今日の、母親の作り置きの食事はなんだろうか。昨日の夜は、自分は風呂に入っただろうか。確か、入った筈だ。・・・それから、着替えをしただろうか。

広い、作りつけのクローゼットには、沢山高価な外出着が詰まっているが、着替えと言っても、亜美は4色のフリースしか、普段着は持っていない。それらは、3年前、渋る父親が、デスクトップのPCを買ってくれてから、ネットでこっそり買う事を覚えたのだ。ユニクロの、水色とピンクとアイボリーと黒のフリース。

それを、母親に洗濯してもらって、毎日別の色に着替えるのが、亜美の唯一の「お洒落」だった。


少し、毛羽立ったアイボリーのフリースを、頭から被り、階下に降りると、母親の甘ったるい、それでいてどことなく毒を含んだ声がした。

「亜美ちゃん、今日はクリニックの日よ。・・・お父さんがTAXYを呼ぶわ。お急ぎなさい」

ああ、またお金がかかる。体も心も弱い、この子のためにお金がかかる。・・・私の贅沢着がもっと欲しいのに。私の老後だって、どうなるの。・・・この子のために・・・この子のために・・・

早く、さっさと電車にでも飛び込んでくれないかしら。

亜美は、黙って、焦げたトーストを苺ジャムと、ティーバッグで入れた紅茶でのどに押し込んだ。


父親は、いつもTAXYの助手席に乗る。亜美は、いつも後席に乗る。

TAXYの運転手は、亜美が触れる、数少ない、それでいて亜美に好意を持っている男性の他人のうちの一人だった。

「全く、こう暑くちゃねぇ。体も参りますねぇ。・・・お嬢さん、いつも綺麗にしてらっしゃいますね」

それはそうだろう。体裁を気にする父親が、じっくり時間をかけて、デパートの最上階のセールで選んだ、亜美の「お嬢さん高校」時代の同窓会の連中も驚く、とっておきのオンワードの外出着なのだから。


クリニックに到着すると、冷房のひんやりした空気がした。いつも見る、木崎が、2Fへ通じる、階段の掃除をしていた。

木崎は、背が高く、彫りの深すぎる顔立ちで、目が不釣り合いにとんぼのように大きかった。彼は、いつものように亜美をちらっと見ると、また掃除に励んだ。

亜美は、いつも不思議に思っていた。何故、この人はこんなに一生懸命「階段の掃除」をするのだろう。・・・亜美の母親は、階段の掃除をしなかった。家では、それは家政婦さんの仕事だった。とは言え、家政婦さんもまた、正月以外は滅多に塵取りと箒を持たなかった。持ったとしても、いつも気だるげにそれを動かしていた。

「カイダンノソウジ」をする木崎の後ろ姿を、この5年間、そうしてきたように、少々失礼なほど(と、亜美には感じられた)見た後、亜美は1Fの待合室の扉を開けた。

小奇麗な白い待合室には、円筒形の水槽に熱帯魚が泳いでいる。茶と黄色いソファが、病人のためにちんまりと用意されている。この雰囲気が、亜美は嫌いではなかった。

父親の横に座ると、亜美はマガジンラックにある「CLASSY」を広げた。その雑誌が、本当は亜美はあまり好きではなかった。しかし、待合室は、「CLASSY」から抜け出て来たような、コーチのバッグを抱えた、ハイヒールを履いた患者で、一杯だった。そして、亜美もまたその一人だった。

亜美は、ため息をついて、院長こと「どくとるマンボウ」(これは、亜美が夜向かうネットで、院長に勝手につけたあだ名だった)の、順番を大人しく待った。

「CLASSY」の中では、亜美と同じような格好をしたキャリアウーマンが、オフィスラブについて語っていた。それは、亜美には理解できない単語で、埋め尽くされていた。

亜美は、知恵遅れではない。しかし、15年間も家にいると、自然とすり減ってゆく、それは唯一の世間の情報源だった。小遣いはたっぷり貰っている。しかし、使い道と言うものが分からないのだ。たまに、父親と帰りに寄るデパートの1Fで、贅沢な化粧水を買う以外は、亜美は小遣いは全部貯金に回していた。

2時間待った後、順番が呼び出された。 
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第二章

籠の鳥ーJAILBIRD-


診察室で、毎度お馴染みの、あまりぱっとしない禅問答を院長とした後、亜美と父親は薬局に向かった。ここの薬剤師のおじさんが、亜美は、珍しい事に気に行っていた。

「亜美さん、調子はどうですか。今度の眠剤は、少しふらつくことがあるかも知れませんよ」

この、穏やかな中年の薬剤師がいなかったら、とっくにこのクリニックは、いつものように父親にわがままを言って替えていただろうと、いつも亜美は思う。それにしても、この薬。毎食毎食後に出される、ビニール袋がぱんぱんになる程の薬。・・・でも、これを飲んでさえいれば、父親は安心するのだ。

薬局を出て、いつものように、通りがけのデパートのティールームで、亜美と父親は、蟹のトマトソースのスパゲッティーと、アールグレイのアイスティーと林檎のケーキを食べた。

家に着くと、亜美はすぐに外出着を、クローゼットのハンガーにかけて、水色のフリースに着替えた。それから、デスクに向かって、おもむろにPCを開いた。

この、PCと、時々CDで聴くロックだけが、亜美にとって外界へ通じる窓なのだ。

亜美は、PCを再起動させ、いつもの「お気に入り」を開いた。そこは、1年前までは、もっぱら少女漫画のサイトで埋められていた。が、今は違う。

「メンタルヘルス」。

息を弾ませて、亜美は画面を注視した。・・・そこには、3ヵ月前に見つけた、「仲間」がいるのだ。

「こんにちわ。今日も暑い日ですね。私は病院の帰りにかき氷を食べましたよ。皆さんはいかが?」いつもの、鬱のアン小母さんが語りかけている。

「私は元気です。今日、クリニックでどくとるマンボウをからかってやったわ。でも、薬は眠剤が、効き目の軽いのに変わっただけです」亜美は、意気込んで書き込みをした。

「あらまぁ。それはいけないわ。・・・亜美さんの話だと、なかなか優秀なドクターのようじゃないの。」

「笑わせないで。賞状がずらりと、壁に陳列してあるだけなのよ。本人だって、ずっとあそこで、ひたすら病気の人と会話しているんですもの。・・・引きこもりと、どこも変わらないわよ」

「亜美さんの毒舌にはかなわないわ。・・・でも、そうね、この病気のお医者さんって、どこか変わっているわね」

ああ、こうして好き勝手な事が言える場所が、与えられているなんて。神様なんて、信じていないけれど、もしいるなら、蟻が十匹だわ。・・・でも、私が本当に、今日待っているのは、この人じゃない。

「亜美さん、調子はどうですか?暑さにも荒らしにも負けずに行きましょう。」これは、パニック障害の白虎さんだ。

「ひろきさんは、どうしているかしら?」亜美は、どきどきしながら尋ねた。

「彼は、今TAXYの運転手をしているからね。・・・まだ、連絡は入らないよ」

そうか。そうか。ひろきさんは、とうとう始めたのか、仕事を。

「でも、本当にアルコールが、体から抜けるには3ヶ月かかると言うよ。・・・彼は、まだ断酒2ヶ月目だ・・・」

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第三章

籠の鳥ーJAILBIRD-


その夜、亜美は眠剤以外に、白い錠剤がひとつ増えている事を発見した。

「これ、何だったかしら?」

「先生が、説明していただろう。お前、聞いていなかったのか。新しい、アメリカから来た抗鬱剤だよ」

それ以上、追求せず、亜美は夕食後の薬を飲んだ。・・・常に、どくとるマンボウの手によって、微調整される薬。十数種類以上ある、抗不安薬、抗鬱剤・・・いちいち、全部をインターネットで調べても、何がどこにどう効いているのかなんてさっぱり分からない。調べるだけ、時間の無駄よ。

一度だけ、睡眠導入剤で、夢遊病状態になり、母親のベッドにインク瓶をぶちまけて、慌ててそれをネットで検索し、同じ症状が多いと言う情報を引き出して、嫌がるドクターに、無理に変えてもらった事はある。・・・珍しく、母親が亜美に脅えたからだ。父親は愛妻家だった。・・・そして、それを亜美はいつも不快に思っていた。

次の日、そしてその次の日、時間はいつものように過ぎた。趣味に没頭している母親。家に、帰ろうとしない父親。家政婦のサイトウさんを、亜美は、はっきり言って嫌っていたが、時々は、両親よりはましだと、内心認めざるを得なかった。

「サイトウさんは、どうして私の事嫌わないの?」

「亜美さんは、ただ笑っていればよろしいんですのよ」

亜美は、内心舌打ちしたが、それでもこの女性を憎む気持ちにはなれなかった。引きこもりの家では、親と子の間に、長い冬に降る雪のように、憎悪という感情が降り積もってゆく。その点、「この人は、この家にとって大事な”他人”だ」という事実くらいは、亜美はわきまえていた。他人は、時に雪かきをしてくれる。

「どうして、サイトウさんはこの家にいるの」

「亜美さんのためですよ。今までの家政婦さんだって、全部そうですよ」

そう言って、サイトウさんは、米とぎを続けた。米を洗って、水を切り、ひたひたの水でまた炊く。そんなことすらも、亜美はした事がなかった。

いや、ある。一人暮らしをしていた時だ。まだ、20才の時。手痛い失恋をして、実家に帰り、祖母の睡眠薬を一瓶飲もうとした時。・・・あの時、亜美の人生は狂った。

亜美はかぶりを振った。思い出したくない。思い出したくない。

「もう、お風呂が沸いていますよ」

またか、と亜美はぼんやり思った。このサイトウさんといい、母親といい、昼間から風呂を沸かしてしまう。それは、亜美の寝る時間が、極めて不規則なせいもあるのだったが、時々朝食が用意されていない場合すらもあった。好きな時に風呂に入り、起きた時、そこにある食事を食べる生活には、もう慣れっこになっていたが・・・。

その晩も、亜美はPCに向かった。

「やぁ、ひろきさん」

気さくな百虎さんが、話しかけている。「どこで客待ちしてるの?」

「帝国ホテルの前だよ」

耐えられなくなって、亜美は割り込んだ。「そこで、お客が拾えなかったら、それは帝国ホテルで新聞沙汰が起きた時だわ」

陽気な、ひろきさんが答える。「新聞沙汰が起きたって、拾えるさ。亜美ちゃん、元気かい?」

「元気よ。」

「なら、よかった」

ぼんやりと、亜美は数人のTAXYの運転手の顔を思い出していた。・・・ひろきさんは、もっと若い筈だ。・・・それにしても、身一つで稼ぐとは、どれ程のことなのだろう。自分にとって、異星人のような人だ。それくらいは、分かる。

「気をつけてね」

「気をつけるよ」

いつの間にか、外は暗かった。亜美は、暖かい体をベッドに横たえた。まだ、眠くはない。

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第四章

籠の鳥ーJAILBIRD-


次の朝、亜美はめずらしく早く目を覚ました。

頭が妙にすっきりして、気分が軽い。・・・何でも、出来そうな気分だ。いつものように、ピンクのフリースを頭からかぶり、階下へ向かったが、例によって朝食は出来ていなかった。

仕方なく、冷蔵庫からヨーグルトを出して、ブルーベリーのジャムをスプーンででたらめにぶち込むと、それを持って亜美は自室に戻り、PCを開いた。

「おはよう、皆さん、新緑が奇麗ね。・・・お仕事のお時間かしら?」毎日、毎日アン小母さんが、皆に呼び掛けている言葉だ。亜美は、この人のおかげで「挨拶」というものが、人を心地よくさせる事を覚えた。

「アンさん、おはよう。まだカウンセリングを受けていらっしゃるの?」

「ええ、とても優しい先生よ。・・・最初の先生は、合わなくてやめてしまったけれど」

「そう。いいわね」

「亜美さんは、カウンセリングを受けていないのですか?」

「今のドクターが、受けさせてくれないのよ。君には毒だと言って・・・」

「ほほ。亜美さんが、カウンセラーをやりこめるのは、もう病気ですものね」

・・・本当にそうだった。と、亜美は振り返る。4才の時、吃音で初めて連れて行かれた教育センター。それ以来、そこのカウンセラー達と亜美は、疑似家族のようになっていた。X’masを、家で過ごした記憶は、ない。いつも、センターのボランティア達と、障害児と一緒に過ごすのが通例になっていた。

「亜美さんの、お母様はお元気?」

「あんな人、母親じゃないわ。私のお母さんは、アン小母さんよ」

「そんな事を、言ってはダメよ・・・では、今日はさようなら」

PCを切った後、亜美は、しばらく考え込んでいた。・・・いつも、亜美を、自律神経失調症だ、モラトリアムだ、と騒いでは、カウンセラーに預けて、自分の好きな趣味に打ち込んでいる亜美の「母親」。一度も、亜美に服らしい服を買ってくれない、「母親」。

何故、あの人が、カウンセリングにかからないのだろう。

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第五章

籠の鳥ーJAILBIRD-


亜美は、その後、ぬるい風呂に入った後、サイトウさんが滅多に取り替えないシーツと羽根布団カバーでうつらうつらしていた。・・・亜美は、風呂の沸かし方を知らない。シーツの取り換え方も知らない。・・・ただ、そこにあるもので寝て、そこにある風呂に入るだけだ。

夜、亜美はまたひろきさんと堪らずに交信していた。

「ねぇ、TAXYの道順を覚えるのって、大変じゃない?」

「それほどでもないさ。普段、道を走りまわっていれば、ちょろいもんだよ」

そうかしらん。

亜美は、いつの間にかまたうとうとしていた。

「亜美ちゃん、亜美ちゃん」

「え?」

「今度会わないかい、直接さ」

亜美は、暫くPCの画面を注視していた。

「いいえ、それは出来ないわ。ごめんなさい」

その夜、亜美は久しぶりに、父親と激しい喧嘩をした。

「どうして、私が医者にかかっていて、お母さんがカウンセリングに通わないの。おかしいわ」

「どこがおかしい、亜美。お前は病気だ。お母さんは、どこも病気じゃない」

「いいえ、あの人は病気よ。私の同窓会の幹事に、こっそり手紙を書いて、『この子は引きこもりですからどうかよろしく』と知らせてしまう。サイトウさんにだって、『この子は病気ですから』って、やとった時から・・・」

「それは、お前のことを心配しているからだ」

またか。またか、と亜美は思う。

「違うわ。・・・近所の人にだって、言いふらしている。『この子、引きこもりですから』って・・・。そのおかげで、同窓会だって、どんな男性も私には声をかけてこない。近所の人だって、挨拶もしてくれない。・・・せめて、『家事手伝いです』と、言えばいいじゃないの」

「お前は、家事の手伝いをしていない」

亜美は、かっとなった。居間の横には、父親の趣味で対面式ではないが、キッチンがある。・・・亜美は、キッチンに駆け寄って包丁を探した。

「何をしているんだ、やめなさい」

亜美は、包丁を自分の頭上でめちゃくちゃに振りまわした。

「お母さんを、カウンセリングに通わせて。・・・・通わせて」

父親は、すばやくよけると、元々反りかえった背中を、いよいよ反らせて叫んだ。

「この家の、家長は私だ、亜美。なんでも私が、私の好きなように決めるんだ」

「いやぁああ」

亜美は、包丁を持って、父親が座っていたソファに突進した。上等なソファに、いくつか傷が出来た。

「分かった・・・」

父親は、息を弾ませながら体勢を立て直して言った。

「お母さんを、カウンセリングに通わせる。・・・ただし、一度だけだ・・・」

亜美は、気を失いかけていた。

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第六章

籠の鳥ーJAILBIRD-


それからどうやって、部屋に戻ったのか、覚えていない。亜美は、暗いデスクの上で、いつものように同じページを開いた。

HELP ME.

HELP ME.

亜美は、おそるおそる、しかし大胆に書き込みをした。頭は、星一つない空のように澄み切っていた。

「皆さん。私、父にナイフを振りかざしました。助けてください」

皆、これには驚いたのか、流石に沈黙が続いている。荒らしさえも、来ようとしない。

暫くして、返信がひとつだけあった。

「亜美ちゃん、落ち着いて。ひろきです」

「・・・」

「僕は、その程度の事、なんとも思わない」

「・・・どうして・・・?」

「僕は、小さい時、義父にいつも日本刀で折檻されていた。何度も、何度も、帰り打ちしようとしたよ。でも、いつも負けた」

「そ・・・」

「母は、それを笑いながら見ていたよ」

「ひどい・・・」アン小母さんが、ようやく割り込んできた。「ひどい母親だわ。そんな人が、この世にいていいのかしら?」

「亜美ちゃん、ねぇ、落ち着いて」ひろきさんは繰り返した。

「僕も、躁うつ病になった事があるから分かる。・・・最近、何か薬が増えなかった?書き込みの調子から、気になっていたんだ」

増えた薬?

ある。

「SSRI。ひとつ増えたよ・・・」

「それだ。それを抜かないといけない。・・・そして、3日間は部屋でおとなしくしていること。出来るね?」

出来る。いや、出来なければいけない。

「それから、お金を多分これから使いたくなる。だから、貯金は少しを残して定期にまわすこと。・・・それから・・・」

「分かった。分かった、ひろきさん。・・・すぐに、ドクターに電話するわ」

「そうして」

ぷつっと、連絡は切れた。

亜美は、夢中で薬の袋を探した。・・・白い、小さな錠剤。ある。片隅に。クリニックに、今すぐ電話しなければ。でも、あそこは夜間は誰もいない筈だ。

これは、亜美が初めて自分の決断を迫られた時だった。

前に一度、飛び込みで軽いパニック障害の患者の人が来た事がある。・・・病院で、貰った薬が、どうしても怖くて飲めなくて、お守り代わりにしているというのだ。すぐさま、白虎さんが返答していた。

「その薬は、副作用の少ないものだけれど、2週間飲まなければ、効き目はないですよ」と。・・・その人は、安心して服用を始めたようだった。

仲間を信用しよう。

亜美は、おそるおそる小さな白い錠剤だけを、袋の隅から、うまく切り取った。前のドクターも言っていた。・・・薬は、1度飲み忘れたからと言ってどうということはない、と。

明日、ドクターに許可を得よう。そして、今日と明日と明後日は、どんなに辛くても、この部屋に「引きこもって」いなければいけない。躁状態で、殺人者になりたくなかったら。・・・食事は、サイトウさんに差し入れてもらおう。

「保護室」に比べたら、ずっと楽な筈だ。

亜美は、自分で自分を守る決心を、した。

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第七章

籠の鳥ーJAILBIRD-


3日後、亜美はサイトウさんと、クリニックに向かっていた。

「先生が、よくものの分かった方で本当によかった事。でも、私とクリニックに行って、どうなさるおつもり、亜美さん?」

「少し黙ってて。考えを整理したいの」

あの、暗い部屋での3日間が、嘘のように空は晴れ渡っていた。

診察室で、ドクターは聞いた。

「お父さんに、ナイフを振り回したって、その程度?」

「(その程度?その程度って、どういう意味だろう。)はい」

「亜美ちゃん、取り替え不安って知っているかな」

「いえ」

「赤ちゃんの時に、病院で他の子供と取り替えられてしまって、ご両親が、まるで血の繋がっていない別の人間に対するような、敵意をぶつけてくる。そんな感じがすることはない?」

ある。あった。と、亜美はぼんやり思いだしていた。出生時の、母親の、乳飲み子に乳を与えている写真が、どう考えても、母親の顔でないような気がするのだ。

沈黙している亜美に、どくとるマンボウは言った。「お大事に」

帰りに、亜美はいつものレストランで、鶏のクリームスパゲッティを、サイトウさんと一緒に食べた。

「あらまぁ、亜美さん、こんな高いものをご馳走になって」

「いいのよ、サイトウさん。それより、買い物に付き合ってくれない?」

貯金は、もう帰り道の銀行で、ほとんど定期にしてあった。でも、ひろきさんが予言した通り、どうしても買いたいものが出来たのだ。

「まぁ、素敵な服なら、いくつも持ってらっしゃるじゃありませんか」

「そうじゃないの。普通の、夏服が欲しいの」

45RPMの店の前で、亜美は立ち止った。濃いピンクと、モスグリーンと、青の花柄のワンピースが目にとまったのだ。

「これは、いいものですよ亜美さん。綿だから、洗濯機で洗えますし」

「そう。じゃ、これを買うわ」

そんなに高価な普段着を買うのは、亜美は初めてだった。いや、普段着と言うものをそもそも、買うのが初めてだったのだ。

亜美の母親は、小学校低学年までは服を手作りしていたが、亜美が高学年になって、胸が膨らみだしてから、洋裁をいやがるようになった。そして、母親と一緒に、既製品の服を買いに行った想い出が、亜美にはひとつもない。

「・・・この子、いやらしいわ。この年で、ブラが要るなんて」亜美の母親が、吐き出すようにそう言ってから。

亜美は、かぶりを振って、その高価な綿のワンピースを買う事にした。サイトウさんは、ため息をついた。

「よくお似合いですわ。よくお似合いですとも」

そして、デパートの1Fで、亜美は初めて、この服に合わせて緑色の夏のサンダルを買った。

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第八章

籠の鳥ーJAILBIRD-


その1ヶ月後、亜美は、郊外のファミレスでひろきさんと会っていた。

ひろきさんは、痩せ形でよく笑う人だった。しかし、とんでもないぼろ車でやって来た。

「ごめんね、これ代車なんだ。事故っちゃって、ちょっと」ひろきさんは、すまなそうに言い訳した。

嘘かな、とちらっと亜美は思ったが、そんな事はどうでもよかった。それより、車の中のきちんと整頓された様子や、ひろきさんの陽に褪せたTシャツが、亜美は気に入った。

ただ一つ、亜美を不安にさせるのは靴だった。ひろきさんの靴は、亜美が見慣れた、先のまるい靴ではなかった。亜美が時々行く、美容院のヘアメイクさんの靴だった。先の尖った靴。魔法使いの靴。

それが、亜美がこの青年に対して感じる、唯一の不安であり、また生理的嫌悪感だった。

「やめろよ、お姉ちゃん。ネットで知り合った人と会うなんて、とんでもないよ」

北海道に住む、唯一亜美の携帯に、返信してくれる、弟の忠告を振り切って、今、こうして初めて、好きな男の人と食事しているのだ。

何故、私に、こんな事が出来たかしら・・・?

「カルボナーラでいい、亜美ちゃん」

「うん」

むしろ、ひろきさんの褪せたTシャツは、亜美を謙遜させた。亜美は、今まで、お金と言うものについて考えた事がなかった。・・・だが、この人は。この、褪せたTシャツから抜き出た、逞しい腕で、それだけで毎日の糧を稼いでいるのだ。

亜美は、自分の45RPMの綿のワンピースが、つくづく恥ずかしくなった。これを買うお金は、全部父親から、あの大嫌いな父親からでているのだ。

ひろきさんは、亜美のそんな思いとは裏腹に、45RPMのワンピースが気に入ったようだった。

「亜美ちゃんはいいなぁ。可愛いなぁ。」

「そんなことないよ」

「俺、馬鹿だろ。・・・以前、結婚詐欺の女に騙されて、300万円払っちゃったことあるんだ。なんだか、かわいそうになっちゃってさ」

「ふぅん」

「亜美ちゃんはいいなぁ。いい、お嫁さんになりそうだ」

「そんなことないよ」

亜美は繰り返した。そんなことないよ。

その夜、やや興奮した亜美は、遥さんとチャットした。遥さんは、メンタルヘルスの住人ではない。少女漫画のカテから、知り合ってメールを交換した人だ。遥さんは養女で、養父母から酷い虐待をされた人だと聞いている。・・・亜美に、「AC」という単語を、初めて教えてくれたのは、遥さんだった。

遥さんは、開口一番、こう言った。

「危ないね、その男。やめたほうがいいね」

「どうして?」

「日本刀、って言うのは、どこかのヤクザの息子だろ。それに、アル中って、治る病気じゃないよ。私、義父がそうだったから、よく知ってる」

「ごめんなさい、思い出させて・・・」

「いいよ。今、私には娘がいるし仕事もある。でも、言うよ」

「うん」

「ヤクザはダメだよ。・・・特に、世間知らずの、亜美ちゃんには、ダメだ。DVになるよ」

そう、カキコすると、遥さんはふっとログアウトした。亜美は、呆然とデスクの前で立ち尽くしていた。

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第九章

籠の鳥ーJAILBIRD-


その夜、ひろきさんからメールが来た。

「亜美ちゃん、元気ですか。俺はちょっと、親父の手伝いで明日は忙しいんだよ。じゃね。」メールには、ひろきさんが下宿で飼っているという、熱帯魚の写真が添付してあった。

亜美は、ベッドにうつ伏して、ひろきさんの焼けた肌を思い出した。それからおもむろに、自分の体の中心部に手を触れた。

何度も、体を折り曲げた後、亜美はベッドの中で泣いた。

サイテイだ。

サイテイだ。

私は、あのヤクザの人より遥かに人間として、劣る。あの人の、寝ている布団も、食べているお弁当も、あの写メの熱帯魚も、全て、TAXYの運転をして、嫌いな客に頭を下げて、夜は洗車をして、自分で得たものだ。

私は、何一つ自分で得たことがない。このベッドも、このPCも、全部全部親から与えられたものに過ぎない。

だから、私は、軽蔑されるのか。

亜美は、疼く体を抱えて激しく泣いた。

次の朝、まだ眠そうに髪をとかす母親の部屋を、ずかずかと亜美はノックした。

「何よう、亜美ちゃん」

「ちょっと、話があるの」

「入りなさい」

母親の部屋は、散らかり放題だった。しかし、今日は構ってはいられない。

「あのね、お母さん」

「気持ち悪いわね。何?」

「あのね。・・・私、やくざの人を好きになったの」

「あら、そう。じゃ、その人の部屋に、お味噌汁でも作りにいらっしゃいな」

亜美は、改めてこのエイリアンのような母親を、まじまじと見つめた。この人は、何を言っているのだろう。何が、言いたいのだろう。

「やくざだよ。危ないよ・・・」

「でも、あなた、その人の事、好きなんでしょう」

亜美は、この母親の首を絞めたい衝動に駆られつつ叫んだ。

「そうよ。好きよ。好きよ。大好きよ・・・ひろきさんは、私の事分かってくれる。・・・私、ひろきさんが、好き」

「何を言ってるの。おやめなさい」

「いや。いやあ」

「やめて頂戴」母親は、いつの間にか泣いている。・・・この人は妖怪だ、と亜美は思った。

亜美は、どうしたらいいのか分からなくなる。この人といると、いつもそうだ。

その夜、亜美はわざと父親と母親の会話を盗み聞きした。・・・簡単だ。キッチンが、独立しているのだから。

「亜美がそんな事を・・・」

「どうしましょう、あなた」

「勝手にさせなさい。亜美が、片付いてくれるなら、ヤクザでもなんでも、この際よろしい。・・・好青年と言う可能性もある」

「だけど、あなた、亜美は夢中なんですのよ。もし、財産でも取られたら・・・」

「私を信用しないのか、お前は。・・・嵯峨家の名誉にかけて、その男にはびた一文もやらんよ。・・・亜美には、出て行ってもらう」

「安心したわ、あなた・・・」

亜美は、震えた。・・・このままでは。このままでは。・・・自分の味方は、この家庭には誰もいないのか。

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第十章

籠の鳥ーJAILBIRD-


亜美が、木崎のいるデイケアを訪れたのは、その3日後の事だった。デイケアは、クリニックの3Fにあった。

「お入り、嵯峨さん」

木崎は、妙に無表情な笑顔で、亜美を出迎えた。亜美は、きょろきょろと、デイケアの一室を見回した。

清潔に磨かれた椅子とテーブル。コーヒーメーカーの匂い。大きなTV。数人の、疲れた感じの中年の人が、静かに会話しながらウノをしている。・・・なんとなく、場違いだ、自分は、と亜美は思った。唯一、こちらを見てほほ笑んでくれた、初老の看護師らしい女性の存在が、亜美を安心させた。

「私、嵯峨亜美と言います。よろしくお願いします」

亜美の挨拶にも関わらず、中年の人達は、ちらりと笑ったような視線を、亜美に投げかけただけで、ウノに打ち込んでいた。

「ここは、ちょっと話しにくいね。嵯峨さん、ちょっと廊下へ」

狭い廊下の、グレイの椅子に腰かけると、木崎は煙草を取り出した。大きく吸うと、背伸びをした。

この人には、お父さんの香りがする、と、直感的に亜美は思った。実の父親に、そのような感情を抱いたことがない。亜美の父親は、煙草を吸わない。酒も一切飲まない。時々、カラオケスナックに行くだけだ。

一度、父の常連のカラオケスナックの小母さんと、外科で出会った事がある。その人は、亜美が禁止されている、紫色のあまり品のないバッグに、大ぶりの花柄のブラウスを着ていた。・・・父親は、亜美が今まで見たことのない表情で、うちとけてその人と世間話をしていた。

「それで、嵯峨さん」

亜美は、集中力を木崎に戻した。木崎は、くたびれた、しかし清潔感のあるシャツに、これまた洗いざらしのGパンをはいていた。

「ここは、安全な空間です。規則は、毎日同じ時間に、皆でお弁当を食べること。一日の費用は580円。コーヒーとココアは、好きな時飲んで構いません」

「はい」

「遅れるようなら、電話を一本入れること。休む日も同じ」

「はい」

「月曜日と、火曜日と、木曜日はトランプかウノかゲーム。水曜日はDVD鑑賞。金曜日は、散策をします。・・・目的は、協調性を持つこと。毎日外に出ることに、慣れること」

「はい」

「君は、扱いにくそうだ」

そういうと、木崎はまた背伸びをした。亜美は、他人に対して、初めて腹が立った。・・・しかし、この感情を、どう表現したらいいのか分からない。

「私、ここはシェルターのつもりで来ました」

「シェルター?」

木崎は、煙草の灰を落とすと、亜美の顔をまじまじと覗き込んだ。

「嵯峨さん・・・いや、亜美さんでいいかな」

「はい」

「それは、どういう意味ですか?」

「私、先日ヤクザの人と食事しました」

「・・・・・・」

「で、そのあと・・・。ネットでDVという言葉を知り・・・勘だけで、『アダルトチルドレンと家族』という本を、注文して読みました。」

「呆れたな、君には。有名な本だ。・・・で・・・?」

「ネットで、DVになるって警告されたんです。その、男性とは・・・」

「うん」

「でも、私には、今、隠れるところがないんです」

「・・・ここは、安全な場所だ」

木崎は繰り返した。「よければ、毎日、いらっしゃい」

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第十一章

籠の鳥ーJAILBIRD-


「それで?」

その夜、亜美の父親は新聞から、始めて目を上げて尋ねた。

「その、デイケアとやらに行く決心をしたのか」

「ええ」

「全く・・・。お前の気まぐれには、困ったものだ。お母さんが、お前の無理に薦めたカウンセリングで、とても不愉快な思いをさせられた事を、忘れたとは言わさんぞ」

「・・・・・・1日、580円かかるの。いいですか?」

「そんなはした金は、どうでもいい。しかし、危ないからTAXYで行きなさい」

「いいえ。私、歩いて行きたいんだけど・・・」

「歩いていかなかければいけない規則でもあるのか?」

「いいえ」

「TAXYで、行きなさい。お父さんの使っている個人なら、安全だ」

「はい」

その夜、また亜美はPCに向かっていた。

「遥さん」

「ちょっと待ってね」

20分ほどして、遥さんはログインした。

「よかったね。でも、男がいるの・・・?その、デイケアに」

「木崎さんは、正式な職員よ。危ない人ではないわ」

「どうかなぁ。男は、男だよ・・・。でも、よかった。体が、耐えられない時、男の体が物理的に近くにあるといいものだよ」

「・・・」

「あはは、亜美ちゃんはうぶだね。まぁ、気をつけなさい。・・・メンヘルには、もう書き込みしないように」

「そうするわ」

「その、やくざのお父さんの”仕事の手伝い”って、闇金融なんだろう?」

「ええ。・・・そうみたい」

「つかまりゃしないと思うけどね。知らない事は、知らなくてもいいんだよ」

「うん・・・」

「でも、よかったよ。ひろきさんとやらは、本気だったんだと思うね、亜美ちゃんに」

「え?」

「そういう男は、女の体目当てなら、1日で目的を達するものだよ。・・・でも、DV夫婦になるのはなお良くない」

「うん。・・・本を読んで、どういう事か、分かった・・・」

「亜美ちゃん、しっかりするんだよ」

遥さんは、またふっとログアウトした。

亜美は、暫く考え込んだ。

ひろきさんに、殴られる。それが、どういうことなのか、まだ実感として、掴めない。・・・亜美の肉体は、ひろきさんを激しく求めている。・・・それは、この3日間で、嫌と言う程分かった。

もし、私が、ひろきさんと一緒になって、ひろきさんが暴力を振るい、借金を作り、何度も刑務所に入り、私はそのために、家の財産を使い果たしたりするのだろうか・・・

それも、面白いじゃない。・・・あの、父親と母親が、どういう顔をするか、見ものだわ。

でも・・・

それは、自分も負けることになる。

亜美自身も負けることになる。

でも。でも。・・・これ以上、負け越すことなんてあるの?ひろきさんと一緒になって、この不愉快な家を滅茶苦茶にして、何がいけないの?

ふと、亜美は木崎の無表情な顔を思い出していた。

「ここは、安全な空間です」

安全?どういう、意味だろう。・・・家にいて、安全な思いをしたことなんて、一度もない。亜美は少なくともそうだった。

安全な空間。

出かけて、みよう。そこへ・・・

無愛想な木崎はともかく、あの、初老の看護師さんの、マリア様のような微笑みが、もう1度見たい。

「デイケア」

行って、みよう。

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第十二章

籠の鳥ーJAILBIRD-



次の朝、亜美は洗面所で、イプサの石鹸で丁寧に顔を洗った。それから、TSUBAKIのシャンプーで髪を洗うとドライヤーで乾かした。

デイケアの扉を開けると、相変わらず、無表情な中年の人達4人が、退屈そうにトランプをしていた。

「嵯峨と申します。おはようございます」

挨拶は、軽く無視された。ただ、亜美が気になっていた、初老の看護師がこちらをむいてにこっと笑ってくれた。

「嵯峨さん、おはよう。・・・私、深津と言います。ここでは、午前中は大抵ウノかトランプをしているのよ。大貧民は知っていて?」

「ええ」

「じゃ、参加してみましょうね」

亜美は、深津サンと、4人の中年の人と、部屋の隅の椅子にいた木崎と、一緒にテーブルを囲んだ。亜美は、大貧民が得意だった。1回、2回、3回と亜美は「大富豪」になった。

深津サンは、相変わらずにこにこしていたが、木崎は最初沈黙し、次に咳ばらいをし、椅子を貧乏ゆすりし、4回目に差し掛かろうと言うところで言った。

「亜美さん、ちょっと廊下へ」

「はい」

亜美は、大人しく廊下のグレイの椅子に座った。木崎は、胸のポケットから、ジッポのシルバーのライターを取り出すと、マイルドセブンに火をつけ、亜美の横に座った。

「君は、出しゃばりだね」

「・・・・・・」

亜美は、かっとなった。が、木崎は平然と煙をたゆたせている。

「余程、我が儘に育てられらのだろう・・・と、普通の、ケースワーカーなら言うだろうね。しかし、僕は、ステロタイプな事は言わない」

「・・・・・・・」

「さっき、君のご両親にお会いした。」

「そうですか」

「君のご両親は、無責任だね」

亜美の頭は、真っ白になった。

「君は、4才の時から、教育センターに預けられていたそうじゃないか」

「はい・・・」

「あそこは、あの当時は、知的障害児のたまり場だった筈だ。・・・しかし、君はどう考えても知的障害とは程遠い」

「そうですか。・・・私、頭わるいです。出しゃばりですから」

「まあまあ」

木崎は、煙草の灰を落とした。

「君のご両親は、君を養育するという義務を、君が幼いころから、カウンセラーに丸投げしてしまったのだと、僕は考えます」

「・・・・・・」

「それが、君の行動過多を助長している」

「よく、分かりません」

「君は、難しい話は得意だそうじゃないか。いつも、センセイから聞いてるよ」

「・・・・・・」

「君の、居場所はここにはありません」

「でも、ここは安全な場所だと・・・」

木崎は、亜美の抗議を無視して続けた。

「自助グループに、参加なさい」

「自助・・・グループ?」

「例の、佐伯先生の本を、ちゃんと読まなかったの?」

「・・・・・・」

「そこに、君の居場所があります」

「居場所・・・」

木崎は、煙草の灰を、灰皿で握り潰すと、大きく伸びをした。

「あとで、資料をコピーして渡します」

深津サンの声が、廊下に響いた。

「嵯峨さん、木崎さん。昼食の時間ですよ。・・・皆で、一緒に、食べましょう」

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第十三章

籠の鳥ーJAILBIRD-


亜美は、木崎と深津サンと、4人の中年の人と、揚げ物がやたらと油っぽく感じられる仕出し弁当を食べた。

「いただきます」木崎は、箸を揃えて、はっきりした発音で言った。

「いただきます」

「いただきます」

「いただきます、今日はメンチカツなのね、美味しそう」

「いただきます・・・」

亜美も、小さな声で復唱した。・・・こんな、大勢で、食事を一緒にとるのは久しぶりだ。皆、美味しそうにぎらぎらしたメンチカツを食べている。

亜美も、真似して、インスタント味噌汁を何とか、口に流し込んだ。箸が、上手く使えていない気が自分でも、ちらっとした。

食事が終わると、各自が仕出し弁当の蓋を閉めて、脇に重ねた。・・・亜美も、慌ててその真似をした。木崎は、6個の空の弁当箱を、風呂敷で包むと、階下へ降りて行った。

その、後ろ姿が消えると、亜美は尋ねた。

「あの、深津さん・・・」

「はい?」

「私、ここにいてはいけないの?」

「・・・どうして?ドクターが、何か仰った?9時から3時までは、好きなだけ、いていいのよ。」

「でも、木崎さんが・・・」

「ああ、木崎さん」深津サンは、ふっと笑った。

「もしかして、セルフヘルプグループを薦められたの?」

「はい」

「あはは。・・・あれは、木崎さんの病気だから。亜美ちゃんは、あ、ちゃんって呼んでいいかしら」

「構いません」

「亜美ちゃんは、ここでもっと、人に慣れた方がいいと私は思うわよ。お箸の使い方とかね」

亜美は、真赤になった。

「いいのよ、いいのよ。・・・それから、インスタントのお味噌汁は、各自が交代で、全員の分をお椀に注ぐ事になってるの。亜美ちゃん、出来るかな?」

「はい」

「出来ない時は、出来ません、って言っていいのよ。」

「はい」

「亜美ちゃんは、はいしか言わないんだなぁ」

深津サンは、ため息を交えて、亜美の目を覗き込んだ。

「心の中の、わだかまりを全部吐き出して。辛い時は、泣いちゃえばいいのよ。」

「・・・・・・」

亜美が、返答できず黙っていると、木崎が勢いよくドアを開けて入って来た。手には、厚いコピーを鷲掴みにしている。「亜美さん、ちょっと廊下へ」

亜美は、その時初めて、部屋の壁の全面を占めているホワイトボードの存在に気がついた。・・・いくつか、書類が貼られている。

「AA・アルコホーリクス・アノニマス」

それが、一番大きい張り紙だった。亜美は、小さな声で、そこに書いてある文章を読んだ。

「神さま、私にお与えください。自分に変えられないものを、受け入れる落ち着きを。変えられるものは、変えてゆく勇気を。そして、2つのものを見分ける賢さを」

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第十四章

籠の鳥ーJAILBIRD-


木崎は、廊下の椅子の上に資料をどさっと広げた。

亜美は、ちんぷんかんぷんのまま、1枚1枚目を通して行った。「あなたの中に、このような問題はありませんか・・・?」

木崎は、ひとり言のように言った。「そう、問題」

亜美は言った。「この、会場問い合わせと言うのは・・・?」

「マップがあるでしょう」

亜美は、すばやく目を通した。

「A教会、K教会、B公民館・・・。教会・・・?あれは、お祈りなのですか?」

木崎は、眼鏡をかけている人が、眼鏡を直すようなしぐさで言った。

「平安の祈り、を読んだんだね。ラインハルト・ニーヴァー。アメリカの神学者の祈りだ」

「私、神学はあんまり・・・」

「それは、分かっている。ミーティングに神学は不要だよ」

「はぁ」

「そこに、おおよその規則が書いてあるでしょう。まぁ、行ってみれば分かる。ただ一つ・・・」

「はい?」

「君のやりそうな事だが・・・」

「はい」

「クロストーク、を、しては、いけません」

「・・・・・・・」

「他人の話に、口を挟む事。他人の意見を論評する事。これらは、厳禁です」

「はい」

「ただし・・・」

木崎は、とんぼのような目をさらに大きくして言った。

「もし、君がそれが守れなくて、ひとつのグループが崩壊したとしても、それは君の責任ではありません」

「・・・・・・・」

亜美が、途方に暮れて黙っていると、木崎はそう言い捨てて、席を立ち「デイケア」の扉を開けた。

そして、振り向きざまに資料の1枚を指さしてこう言った。

「今の君に、お勧めなのはこれだね」

亜美は、うつむいて資料を見た。

「サヤン。SAYAN。・・・生き方に滞りを感じる女性の会」

「それは、例の佐伯先生の家庭機能研究所付属ミーティングだよ」

「家庭機能研究所」

「あとは、お得意のPCで調べなさい」


亜美は、その夜家に帰ると、「家庭機能研究所」と「サヤン」を打ちこんだ。・・・答えは、すぐに出てきた。亜美は、画面を注視した。

「R地下鉄駅、6番出口を出て、徒歩6分。19;00~20;30」

更に、亜美は検索した。

「家庭機能研究所の、講演会のお知らせ。20日。15;00~17;00 ’あなたの家庭はどこかへん?’講師、安西美津子。3000円」

亜美は、もうR地下鉄駅に降り立つ覚悟を決めていた。

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第十五章

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亜美は、その土曜日、久しぶりに駅の改札に立っていた。

一人で、電車に乗るのは何年ぶりだろう。

亜美は、忙しく不安げに駅の路線図を見上げた。R駅・・・R駅・・・

どうやら、JRを1回乗り換え、それから地下鉄に乗ればいいらしい・・・

切符を買うと、亜美は改札をくぐった。

沢山の人が、目的地はばらばらに歩いている。亜美は一瞬、気分が悪くなった。しかし、なんとしてもプラットフォームに辿り着かなければ。

階段を、やっとの思いで上りきると、そこには曇り空と人の足が広がっていた。亜美は、辛抱強く電車を待った。

「S駅、S駅~」

電車の扉が開いた。亜美は、目ざとく空いた席を探したが、ない。・・・諦めて、ドアに寄りかかり、資料の入ったカバンをしっかり肩にかけなおした。

冒険が、始まるのだ。


乗り換えは、思ったより遠くて面倒だった。・・・地下鉄のホームに降り立つと、明らかな昼間なのに、缶酒を抱えた男がいる。

亜美は、ぶるっとすると気を取り直し、大きく空いたホームと電車の隙間に落ちないように気をつけて、汚れた地下鉄に乗り込んだ。

R駅につき、地下鉄の狭い階段を上ると、そこには意外と、亜美の住む街に似た景色が広がっていた。・・・民家風のスパゲッティー店、洒落た喫茶店。

亜美は、少々気を取り直すと、地図通りに道を急いだ。

眼前に佇む、瀟洒なビル・・・それが、亜美の目的地だった。

「家庭機能研究所」

亜美は、その自動ドアの前で、大きく息を吸い込んだ。・・・

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第十六章

籠の鳥ーJAILBIRD-


「家庭機能研究所」

亜美は、ためらわずにその自動ドアをくぐった。この3Fが、今日の目的地なのだ・・・

意外と狭いエレベーターを降りると、白い扉の前で、冴えない感じの初老の男女が、受付をしていた。

「あのう。”あなたの家庭はどこかへん?”の会場は、ここですか」

二人は、訝しげに亜美のいでたちを覗き込んだ。

「そうですよ。・・・受講料、3000円」

亜美は、あっさりと財布を開くと、千円札3枚を、小さな箱に落とし込んだ。まだ、不思議そうに見つめる二人の視線を後に、亜美は部屋に乗り込んだ。

・・・そこには、亜美がよく知っている人間たちが、いた。亜美は少々驚いた。

無印良品の服を着て、ボールペンを常に携帯し、指には高価なリングを嵌めた人達。・・・そう、ずばり「勝ち組」の、カウンセラー達なのだ。亜美には、一瞬にしてそれが読み取れた。

だてに、4才からこの人達にお世話になってきたんじゃないわ。

・・・そうは言っても、亜美自身、今は少し脅えているのが分かった。・・・私は、今、ひろきさんの眼で、彼から貰った眼でこの人達を見ているのだ。

ひろきさんが、3台の車をやっとの思いで洗車する事によって得るお金を、ただエラい人のエラい話を、聞くためだけに、財布からひょっと出せる人間たち。

亜美は、一番前の椅子に座った。

間もなく、先生がやって来た。・・・どくとるマンボウの前に、亜美が通っていて大喧嘩を繰り広げた女性の医師に、少し似ている。地味だが、万単位の服を着こなしていることを、亜美はすぐに見抜いた。

木崎の、地味なGパンとも、えらい違いだ。

先生は、一礼する前に、コップの水を少し飲んだ。それから、おもむろに喋り始めた。

「ここでは、家庭の中の”共依存”について、お話したいと思います」

先生は、黒板に2つの丸を書いた。・・・重なり合っている2つの丸。

「これが、”共依存”の状態です」

聴衆は、シーンとしている。更に、先生は次の2つの丸を書いた。離れたところにある2つの丸。

「これが、健全な状態です」

亜美は、少しきょろきょろした。さっきの、冴えない2人組が、亜美のひとつ離れた席に座っている。

先生は、構わずに話を続けた。

「・・・しかし、この定義以上に病んだ家庭も、世間にはあります。・・・私は、今日、それをふいに思い出しました」

女の先生は、亜美の青白い顔をまっすぐに見た。

「ヨーロッパか、アメリカでしたか、私には確信がありません。ここで、今日、あえて予定を変えて”ある少女”の話を、私はします。これは一つの謎々です。・・・皆さん、どんどん質問をするように」

無印良品の群れは、沈黙した。・・・亜美もまた、今、初めてまっすぐにこの女の先生の顔を見ていた。

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第十七章

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「あるところに、ある少女がいました。・・・その子の両親は、ある日外出する時、その子に言いました」

「地下室の扉を、開けてはいけないよ」

「さて・・・彼女には、きょうだいは居たと思いますか」

亜美は、手を小さく挙げて、つぶやくように言った。

「・・・盲目の、妹がいた」

先生は、言った。「なかなか面白い答えです。さて、他の質問はありませんか」

他の人が、手を挙げて言った。「何故、地下室のドアを開けてはいけないと?」

「さあ、なぜでしょう」

「彼女は、その言いつけを守りましたか?」

「いいえ、守りませんでした」

「その結果、罰が与えられましたか?」

先生は、一瞬沈黙して言った。

「そうですね。・・・彼女の、親自身からではありませんが、とても重い罰が与えられたかも知れませんね、彼女には」

「それは、何ですか?」

「さぁ、何でしょう」

聴衆は、少しざわざわして来た。

再び、亜美は質問した。「何故、彼女の両親は、わざわざ”ドアを開けるな”と?」

先生は、少し苦笑いした。「どうしてでしょうねぇ」

誰かが、はっきりした声で質問した。

「彼女は、地下室のドアを開けて、何を見たのですか?」

「外界です」

聴衆は、一斉にざわめいた。

「分かりました!」

「そうです。・・・彼女は、地下室にずっといたのです。彼女が、見てはいけなかったのは、光です」

亜美は、くらくらしてきた。隣の、二人組もそうらしい・・・

「そんな家庭が、本当に・・・」

「あるのです。・・・欧米のどこかの家庭の実話です。しかし・・・」

亜美は、席を立った。周りは、一斉に亜美を注視した。「私、ちょっと化粧室へ行きたいです」

先生は、憐れむような顔つきで亜美に言った。

「どうぞ、ご自由に」

亜美は、ふらふらした足取りでドアへ向かった。化粧室は、ドアのすぐ傍にあったが、扉を開けると、大きな注意書きが眼に飛び込んできた。

「吐くこと禁止。家庭機能研究所」

これじゃ、嘔吐も出来ないじゃない。何かのホラーみたいだわ。

亜美が、何とか胃をなだめて、外に出ると、二人組がすぐ眼の前に立っていた。いきなり、話しかけてきたのは、年配の女性の方だった。

「酷い話だったね」

「ええ・・・」

亜美は、やっとの思いで答えた。

「いらっしゃい、SAYANへ。そこにあなたの居場所もきっとあるわ」

居場所?2度目に聞くセリフだ。

「このビルの地下よ・・・」

亜美は、まっすぐに暗いエレベーターを、この二人組と一緒に、黄泉への道へのようにどんどん下って行った。

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第十八章

籠の鳥ーJAILBIRD-


亜美は、地下のエレベーターの扉が開いた途端、ツンとする匂いと、辺りの暗さに驚いた。

(ここ、何・・・?)

黒っぽく変色した、壁と床と古びたソファー。50円のお茶の自動販売機。十数人の、空ろな顔つきをした、少女達。と、中年の水っぽい感じの貧しげな女性一人。そして、さっきの冴えない初老の二人組。(よく見ると、女性の方はユニクロの男物を着ていた。)

そこには、およそさっきの「天国」とは正反対の世界が広がっていた。

「ようこそ、サヤンへ。では、これから、分かち合いをはじめます」

数人の少女が微動した。・・・暗くてよく見えないが、年代物のいい服を着ているのが亜美には見てとれた。しかし、彼女らの靴は例外なく汚れていた。

「亜美さん、こんにちわ。これからあなたはサヤンの仲間です。・・・では、『平安の祈り』を唱えた後、時計周りに各自が話したいことを話して下さい」

亜美は、おずおずと周回しているソファの一番隅に座った。一番幼く見えるやせっぽちの少女が、おもむろに話し始めた。

「私は、摂食障害でこんなに太っています。だから、男性から見て魅力がないんだと思います」

(違う)

別の少女が話した。

「父は、私を嫌っています。ヨーグルトにジャムを入れるといらいらします。でも、りぼんのついたこんな靴を買ってくれます。・・・父に好かれたいです」

(違う)

またもう少し年配の少女が話した。

「私は、殻にこもったように家にいて、もう10年になります。・・・でも、私は信じています。いつかきっと、私の落ち着いた魅力を分かってくれる男性が現れると」

(違う)

(違う。・・・違う。そういう事を言っているから、そこで黙っている、あの水っぽい女性のようにいつかはなるのだわ)

・・・最後に、冴えない年配の女性が話した。

「私は、頭がいいからと医学部を父に薦められました。・・・でも、二浪して落ちました。それからずっと、父の意の添うように生きてきたつもりです。でも、結果的には佐伯先生に、『折り合いをつけることを学ぶこと』と言われました」

(違う。違うわ。・・・それは、貴女が可愛くなくて、お父様が口実を使って貴女を遠ざけただけよ。)

少女達は、「佐伯先生」の一言に、大きくうなずいた。それは、まるで宗教のようだと亜美は感じた。

「さぁ、最後に、亜美さん」冴えない初老の女性が促した。

「わたしは・・・やくざのタクシーの運転手さんを、好きになりました・・・」

少女達(というには、亜美と同じく随分年を喰っているのが、薄暗い中からももう見てとれた)の、だらしない表情が少し変化した。

「それで・・・男性の魅力とは・・・お金や地位だけではないと、思いました」

少女達は、呆れたようにつぶやいた。

「それは、そうでしょう」

(違う。・・・違う。貴女たちは、私の言ったことの意味を、まるで理解していない。・・・ただ、親から教えられた台詞を繰り返しているだけよ)

「私の母は、『あたしが亡くなったら、”まりもの家”に行けばいいじゃぁないの、』と言います」

少女達は、少しざわめき始めた。・・・初老の女性が、とりなすように慌てて言った。

「ああ、まりもね。・・・あそこのボランティアさんの作った昆布、私毎年買っているのよ」

亜美は、席を立った。

「私、もう帰ります」

外に出ると、夜気がひんやりと冷たかった。亜美は思った。・・・木崎は、これを教えてくれたのだ。ひろきさんの意味を理解しなかったら、こうなるという私の将来の姿を。

少女達も、いつしか外に出てきてTAXYを拾っていた。

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その1

Morning Glory

「あ、いっちゃった」って、あたし叫んだ。

あたしレイコ。3カ月前から、SMチャットにはまっている。

浩司と知り合ったのは、2週間前。色んな男が、板であたしをいじめに来る。

でも、「レイコちゃんは浩司にいじめられたいんだよね」って、他の誰かがすぐ見抜いたくらい、あたしたちは、Hの相性がよかった。うふ。

浩司は、優しい。午前5時になると、「もう寝落ちしろよ」って必ずメールしてくる。

もちろん、気に入ったのはそこだけじゃないけど・・・

浩司の、最初の「ご命令」は、凄かった。

「レイコちゃん、ちょっとキャミの乳首のとこに穴あけてみて。ハサミでね」

え~っ?

あたしは、言うとおりにした。・・・そのキャミ、お手軽だったから。

「そしたらね、乳首のまわりにハートマーク書いてくれない?赤のマジックペンで」

あたしは、鏡で、自分のキャミから、勃起した乳首だけ出てるのを見て、興奮、した。おまけに、乳首のまわりはいやらしく真っ赤っかのハート。

「感じるでしょ?」

う・・・ん。めっちゃ、感じるよぉ。

「そしたらね・・・」

次に来るのは、分かってた。

「出来たら、でいいんだよ・・・。パンティから、クリが見えるように、ハサミでうまく穴を切り取って」

はい。

「クリ、大きくなってるでしょ?」

はああ。もっちろん。

「鏡で、自分で見てるんだねレイコちゃん・・・恥ずかしい子だ」

そんなこと、言われたら、逝っちゃうよぉ。

「歯磨き粉、持ってるかな」

あたしは、ミント味のをクリに擦り付けた。・・・と、たまんなくアソコが燃えてきた。

「ふふ・・・もう、我慢出来ないでしょ・・・」

「出来ません。命令してください」

「命令って、何をかなぁ?」

「触らせて・・・お願い・・・」

「んっ?どこ触りたいのか、はっきり言わないと分かんない。触らせてあげない」

あたしは、はぁはぁ言いながらカキコした。

「あたしのいやらしいクリを、触らせて・・・下さいっ」

「よく、言えたねレイコちゃん。じゃ、触っていいよ・・・でも、最初は円をえがくようにゆっくりね」

「はあっ、あっ、あっ」

「いやらしいなレイコちゃんって・・・もう、濡れちゃってるんじゃない?」

「びしょびしょ、です」

「いやらしいねぇ」浩司は、嬉しそうにカキコした。

「ローター、入れていいよ」

「持って・・・ないんですっ」

「あれれ、案外うぶなんだぁ。じゃ、指でね、ゆっくり中をマッサージして。Gスポットに、当たるように」

「は・・・」

あたしは、それ以上打てず、逝き落ちした。

「今夜も楽しかったよ、レイコちゃん。風邪引かないで、早く寝てね」

浩司は、ふっとログアウトした。

あたしは、まだあそこを一人でぐりぐりしながら思ってた。・・・浩司のメルアド、どうしても、知りたい。

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その2

Morning Glory

・・・そもそも、あたしが何でHチャットにはまったかとゆうと。

あたしは、半年前、デートレイプに遭った。

それで、周りの女は相談したあたしのことを、「馬鹿」とか、「けっこくらくらしたんでしょレイコ」とか、ゆった。

酷い女になると、「レイコはそれを待っていたのよね~」とか、言った。

それで。

自分がダメで馬鹿で情けない女に思えた。・・・もう1度、「もの」みたく扱われたくなった。

SMチャットの男たちは、優しかった。

体を差し出せば、「可愛い」ってゆってくれたし・・・

「犯されました」ってゆうと、「エロい」って喜んだ。

それに、あたしは麻薬みたいに夢中になった。

浩司が、他の男とちょっと違ってたのは、ものすごく巧かったのと、いつも「おやすみなさい」って、最後に、言ってくれてたとこだ。そこを、あたしは好きになった。

そんなんで2週間が過ぎた。

・・・もちろん、職場ではミスりっぱなしだ。3ヶ月もろくに寝てないんだもん。

あたしをデートレイプした、同僚の一輝は、4月に東京転勤になってから会ってない。・・・会いたくもない。

「会社の掲示板に匿名で書くぞ」って脅したら、一輝は逆に、「それやったら、お前をストーカーとして俺は訴えるぞ」って逆切れした。あたしは、黙った。いつも、一輝の携帯によく電話して、しょうもないあいつが、マナーモードにしないので、勤務中鳴り響いてたのは、事実だから。

一輝は出来る男だった。

SMチャットの男たちは、ダメダメだった。

アラカンなのに、昼間っから愛人募集してるアホとか、ニートっぽい男とか。ラブホの支配人で、フリートーク立ちあげてる暇人とか。

浩司は、だれとも違ってた。・・・だから、ものすごく人気があった。

あたしだって、最初からこんな過激なチャットに辿り着いた訳じゃあない。

最初は、アホーチャットで、(あとで知ったらチェリーボーイだった)電気屋さんの26の男に、「男ってどうゆうものかしら?」なんて、聞いてた。今、思うと、うぶ。

26は、「俺はフーゾク行かんけど、そいつはいっとるな。・・・そいつ高校、男子寮出身やろ。初体験はそれや」つた。あたしは、納得した。

世の中には、人に聞かないと、分かんないことが一杯ある。

チェリーボーイさんには、「映画館で手、握りなさい」ってレクチャーした。こつがあるんだよ。女の手、あそこ触るつもりで握るの。って。

そしたら電気屋さんは、「エロやな」って、照れてた。「でも俺、X’masに向けて、頑張る」って。

それで、その人とは、何事もなく、別れた。

2度目に会った人は、もうちょっと出会い系で、35のエロ産婦人科医だった。・・・頭のいい人だった。資格持ってるとこだけはね。だって、「弟と住んでる」ってゆうんだもん。どこにデザイナーズマンションに弟と住む医者があるのよ。アフォ。

しかも、あたしにデザイナーズマンションじゃなく、あたしの下宿に来たい、って言う。

送って来た写メは、イケ面だったから、余計に腹立った。

で、「グッチのバッグ買ってくれて、フレンチ食べてラグジュアリーホテルでスイートでだったらいいよ」って返事した。

そしたら、凄い剣幕で、怒りだした。「お前の写メ送れ!送れ!送れ!」って。

で、AVの写メ取って、「これで抜いてね」って言ったら、向こうが余計、気違いみたく怒りだした。・・・こわいから、おずおずと下着姿送った。それが、初めてだった。

それまで、男とエロメールはしたけど、エロ写メは送ったことなかった。・・・エロ産婦人科医は、「ふん」って言ったけど、喜んでた。あたしの胸が、Fカップだから。あは。

それから、携帯で写メ撮るのが、刺激になり始めた。

3度目に会ったのが、浩司だ。

普段の昼の浩司は、夜のあたしの顔のこと、どう思っているんだろう。

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その3

Morning Glory

夏の、夜は短い。

浩司は早く板に出て来ないかな、って、待ってる内にすぐ午前1時になる。

「ローター買いましたぁ。疼かせてくれる人希望」

「レイコちゃん、こんばんは」

浩司だ!あたしは、素直に嬉しい。

「ローターに付属してる電池って、おもちゃだからね。すぐ、アルカリの新品に換えなきゃダメだよ」

「???」

「レイコちゃん。俺、今夜徹夜なの。・・・気が向いたら、xxxxxxx@bakano.ne.jpにメールして」

ついに来た!って、あたし思った。すぐに、チャットを切って、震える手でメルアドを携帯に入れた。

浩司って、どんな声してるんだろう。

どんな、メール送るんだろう。

あたしは、どきどきしながら、昨日のエロ写メと丁寧なメール送った。

「レイコです。こんばんは。・・・浩司さんですか?いつもありがとう。」

果たして、すぐメールは返って来た。

「はじめまして」

あたしは、嬉しかったけど、ちょっと微笑った。こうゆう付き合いで、「はじめまして」はないんじゃない?

「写メ、どうでしたか?」

「う~ん、君が送りたくなったらでいいんだけど」

あたしは、ちょっとがっかりした。

「色っぽくなかったですか?」

「う~ん、いやそんなことない。嬉しいよ。いやらしすぎだよね」

あたしは、ちょっとしょぼんとなった。

「いやなら、もう送らないけど・・・」

「いや、だってここでメール返って来なかったら悲しいじゃない?」

へ?

「俺、脅迫とか、交換条件みたいに写メ送らせるのいやなの。だから、レイコちゃんの自由でいいっていったの」

そういう、人もいるんだ、ってあたしは初めて知った。

「うん。・・・本当は、やっぱり恥ずかしいよ」

「でしょう?」

「でもさ。せっかく携帯通じたんだから、初ローターの手ほどきして欲しいよ」

「ええ?」

浩司は、か~な~り驚いたみたいだった。

「俺、ほかの奴らとかなりスタンス違うかも知れない・・・。女性のオナの、お手伝いをTELでしてあげた経験は、殆どないんだよ」

「いいからいいから」

「しょうがないねレイコちゃんは。TEL,0X0XXXXXXX9。」

あたしは、すぐに電話を非通知でかけた。

「こんばんわ」

「はじめまして」

2度目の、はじめましてだ。

「あはは」

「俺、なんかおかしい?」

「だって・・・挨拶するんだもん」

「俺、挨拶って大事だと思ってるからさ」

「もしかして、シャア専用携帯なの?」

「いや、違うよ。あれは、ソフトバンク」

「詳しいじゃん」

「俺、シャア本当に好きなの。だから、使いたくないの。・・・知ってるかな、シャア専用のザクは通常の3倍のスピードで動くんだよ。もし、あのシャア専用携帯、普通の3倍のスピードで動くんだったら買うんだけど」

あたしは、噴き出した。

「もしかして、オタクなの?」

「まぁ、そうだけど・・・」

「どーでもいいよ、はじめよう」

浩司の声は、人をいたぶってるのに、赤ちゃんをあやすように、優しかった。

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その4

Morning Glory

それから、あたしと浩司の「愛の生活」が始まった。

夜中、終電車で帰ってくる浩司が、夢中で、隣の人に見えないように、携帯の画面を隠しながら、あたしにオナ指示を出したり。

帰りの早い日は。

「レイコちゃん、ベルト持ってる?」

「ん、ふつーのなら」

「じゃ、それ首にぐるぐる巻きにしてよ。・・・それで、全裸になって」

「はぁ・・・もう、言う通りにしちゃいます」

「巻けた?」

「うん・・・」

「じゃ、レイコちゃんの自慢の胸にね、マーカーで『めすいぬ』って書いてみて」

あたしは、ものすごく淫らな気分になってきた。

「書けたよ・・・もう、我慢できないよぉ」

「そら出た。いやらしいなぁ」

「あ・・・電話して・・・」

浩司は、ちょっと躊躇ってから言った。

「レイコちゃんの番号、まだ聞いてなかった」

「0X0XXXXXXXX」

「じゃ、3分したら電話するよ」

あたしは、震える思いでコールを待った。

「こんばんわ」

「こんばん・・わ・・・」

「恥ずかしいなぁ。もう、息乱れてる」

「だって・・・だって・・・」

「いいよ。鏡、見ながらしてるんでしょう?」

「うん・・・恥ずかしいです」

「鏡、自分で持って来たんでしょう?」

あたしは、巧みな言葉攻めに、びちゃびちゃに濡れてきてた。

「ああ・・・ローター使っていいですか?」

「もう、横に持ってきてあるんでしょう?・・・いいよ。ただし、四つん這いになって後ろから入れること」

もう、恥も外聞もなく、あたしは浩司の言うとおりにした。

「はい・・・はい・・・ああっ」

「ああって?どう、感じるの?」

「感じちゃって・・・逝っちゃう・・・逝く・・・」

「ふふ、レイコちゃん下つきだから」

「はあっ・・・ああっ・・・」

「レイコちゃん、どこをどう感じてるか、ちゃんと言って」

「あそこ・・・あそこの中、感じる・・・逝く」

「レイコちゃん、中で感じるようになったんだ」

「あああああっ」

「・・・逝っちゃった・・・?」

「頭ボーっとする・・・腰、重たい」

「もしかして・・・初めて?」

「元彼に犯られた時は、痛いだけで、感じなかったの」

「うん」

「それまでも、逝ったふりしたことはあったけど、逝かなかったの・・・」

「じゃ、よかったね、これからH嫌いにならないですむよ」

「浩司さん」

ふっと、電話は途切れた。

まだ、頭にピンクの雲がかかったみたいに、くらくらする。

浩司は、魔法使いみたいだ、って、あたし思った。

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その5

Morning Glory

それで。

その後、知ったこと。

浩司は、PCのメンテの仕事をしているらしいこと。

あたしのアソコに、何かを入れさせるのが大好きな事・・・

マスカラの瓶、パールのネックレス、特に・・・電動歯ブラシが、大好きだった。

「今夜も感じさせてぇ」

「ふふ・・・レイコちゃん、例の電動歯ブラシある?」

「あるよぉ」

「コンドーム、ちゃんとかぶせて」

「うん・・・」

「いつも素直だね・・・スイッチ、強にして、クリに当ててみて」

「あっ・・・あっ・・・あ」

「うん」浩司は、満足げだった。

「電動歯ブラシのレイコちゃん」

「いやぁ・・・そんな、呼び方・・・」

「もう、乱れてるくせに。恥ずかしいの、好きなくせに」

「だって・・・はぁっ、はあ、あ」

「中に、入れていいよ」

「・・・」

「尻尾みたいに、電動歯ブラシの持ち手がアソコから出てるでしょう?」

「ああ・・・あ・・・あ、そう」

「その、メス犬みたいな姿が、本当のレイコちゃんなんだよ」

「ううっ・・・」あたしは、大好きになった四つん這いのポーズになった。首にはベルト、胸には穴開きキャミ。

「ほらほら」

「はい。・・・電動歯ブラシがみっともなくおまんこから突きでてます。動かしてます」

「なんていやらしい子なんだ、レイコちゃん」

「ああ」

「いいよ、逝って」

「はあっ、ぁああ・・・」

「物足りないの?」

「は・・・い・・・」

「じゃ、持ち手をおまんこに入れるといいね」

「はい、そうします」

「いい子だ」

あたしは、電動歯ブラシを持ち替えた。持ち手、結構太い・・・

目を瞑って、あたしは持ち手のほうをアソコに入れた。

「・・・?」

「レイコちゃん?」

「いやぁ」

「感じてるんだね、レイコちゃん」

その瞬間、激痛が走った。

「い・・・や・・・」

「ふふふ」

いつの間にか、あたしはあの時の一輝の顔を思い出していた。

「いや!」

「どうしたの・・・?」

「いや!いや!いや!」

あの極太のが、乾いたとこに一気に突っ込まれてきた時と、同じ激痛。

「どうしたのさ」

「嫌い!嫌い!嫌い!・・・痛い・・・」

「ちょっと、レイコ」

「浩司大嫌い」

あたしは、息をはずませながら携帯を切った。

痛い。・・・少し、血も出てる。

・・・あたしのアソコは、どうゆう訳かローターで一杯一杯なくらいきつきつなのだ。

暫くして、浩司からメールがあった。

「もう、君のこと、恋人とは思わない」

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第十九章

籠の鳥ーJAILBIRD-


それから、「デイケア」に行くのが、亜美の日課になった。

何としても、あの淀んだ地下室のような部屋から、抜け出したかった。

亜美は、毎朝7時に起きると、THUBAKIのシャンプーで髪を洗い、イプサの石鹸で顔を洗った。そんな事を、毎日するのも初めてだった。・・・それから、朝食は食べずに家を飛び出した。

「まっすぐ、まっすぐ、まっすぐ歩くのよ」

そう、自分に言い聞かせながらクリニックへの片道25分かかる道を歩いた。・・・早朝の道には、色んなものが落ちていることを亜美は知った。

「おはようございます」

と、通りがけの店開きをしているお豆腐屋さんに、挨拶をする。クリニックの、少し手前の自動販売機で、120円の缶コーヒーを飲む。

クリニックについて、2Fから3Fに通じる、「天国への階段」(亜美は、内心でそう呼んでいた)を息を切らせながら昇ると、そこには木崎がいた。深津サンがいた。中年の無表情な人達とも、徐々にうちとけてきた。・・・亜美は、「大貧民」を「負ける」ことを覚えた。

木崎は、亜美に異様なまでに関心を持っているように、今は思えた。・・・彼は、次々に「共依存」や「AC」のテキストブックを、昼休みに亜美に音読させた。亜美の吸収の早さに、木崎は驚いているようだった。

だが、午後はだめだった。

ACの本を、丸飲みこみするにつれて、亜美は尋常でない頭痛に見舞われ始めたのだ。・・・午後は、「処置室」のベッドで、寝ていなければ家に帰れなかった。そんな亜美を、深津サンはいつも心配そうに見守っていた。

それでも、真っ白い何の飾りもない処置室のベッドは、亜美にとって「天国」だった。

父親の、殴りつけるような罵詈雑言もない。母親の、厭味ったらしい涙もない。

ただ、無表情なメンバーの中に、亜美が気になる人が、一人だけいた。その女性は、亜美と同じ年頃だろうか・・・。いつも、濃い化粧をして、甘ったるい声を出す、どことなく父親のカラオケ仲間の小母さんに雰囲気の似た、ただもっと若い人だ・・・。

その人は、月曜日だけやってくると、いつも大人しく刺繍をして、「大貧民」には加わらずに返って行った。木崎は、この人が来ると、黙っていつも足元の方を見ていた。

「何だか変」と、亜美は思った。

あの女性、どこかで見たことある・・・。そうだ、父親と昔よく行っていたデパートの最上階で、いつもセールのすみっこで、冴えない服を、しかし嬉しそうに選んでいた人だ。

木崎は、亜美の不審な視線には構わず、廊下の椅子でいつも紫煙をたゆたせていた。そんな木崎と、議論をするのが、今は亜美の最上の楽しみになっていたので、亜美は何も言わなかった。

ある時、木崎は言った。「あの東さんと言う人は、ALAに通っているんですよ」

「・・・ALA?」

「そう。アルコール依存の家族を持つ人が行く自助グループです。・・・嵯峨さん、君のお祖父さんは、父方母方共に、アルコール依存だったのでしょう」

「はい。でも・・・」亜美は、顔をしかめた。

「父方の祖父は、小さい時亡くなりましたし・・・。母方の祖父に関しては、私、顔も知らないんです。田舎で、母が10才の時に亡くなったそうで」

「僕は、君にALAを薦めるけどね」木崎は、例の強い語調で言った。「ACの基本は、アルコール依存の家族を持つ事です」

その夜、亜美はベッドで考えていた。父方の祖父は、よく飲んだらしいが、さみしい亜美にX’masツリーの飾り付けをしてくれたり、ゴルフボールを使って遊んでくれた唯一の人だ。・・・母親が、嫌っている祖父は、どんな人だったのだろうか。何でも、田舎で学校の先生をしていて、敬虔なクリスチャンでもあったらしい。

「ワーカホリック」ふと、学んだ言葉の一語が浮かんだ。

私の父親は、ワーカホリックなのではないだろうか・・・?

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その6

Morning Glory

「どおして・・・?」

あたしは、涙出そうになりながらたずねた。

「君は、まだ心の整理がついてないよ。こんな状態で、恋人でいる訳にいかない。・・・これからは、友達だ」

「そんなぁ」

「友達としては、メールも返すしちゃんと送るよ」

「躰つらいよぉ浩司」

「俺には、どうにも出来ない」

ふっつりと、メールは切れた。

あたしは泣いた。・・・それから、元のOL生活が戻って来た。もう、遅刻もしなければさぼりもなし。

それでも、あたしは毎日浩司にメールを送ってた。

「元気浩司」

「おはよう。今日は少し涼しいね」

「さみしいよ浩司」

「こんばんわ。もう上着いるね」

「またやりたいよ浩司」

「おやすみレイコ。俺、今終電なんだよ。気をつけてね」

そんな、メール交換が3ヶ月も続いた。

今、思うとあたしそーとーしつこかったんだと思う。でも、浩司は律儀にメールを返してくれた。そんな男、初めてだった・・・

10月になった。8日は、あたしの誕生日だ。

その日は残業で。自分でも半分忘れてて、デパ地下でケーキ買おうかな、って思ってたら、浩司からデコメが来た。

「おめでとう誕生日レイコ。HappyBirthday」

あたしは、めっちゃ嬉しかった。

・・・覚えててくれたんだ、浩司は・・・どっから、可愛いデコメダウンロードしたんだろう。

その晩、あたしは酔っぱらって、初めて通販の”エンジェル・ダスト”で買った、ミントグリーンのバイブちゃん(名前・浩司)をおそるおそるアソコに入れてみた。

痛い。

やっぱり、痛い。

すぐ抜いたのに、鈍痛が消えようとしない。・・・あたしのアソコは、どうなってるんだろう・・・

思わず、あたしは浩司にメールしてた。

「一人ぼっちでケーキ食べて、一人ぼっちでワイン飲んで、一人で”浩司ちゃん”と遊んだら痛い!痛い!痛いよぉ!」

・・・あきれちゃったのか、浩司から返信は返ってこなかった。

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その7

Morning Glory

次の日。

何故かあたしは、つまんないミスで上司にめちゃんこ叱られた。・・・あたしが悪い。

”浩司ちゃん”と遊んだせいで、あそこが何かじんじんして落ち着かなかったせいもある、と思うけど。たまんなく、自分が惨めになった。

満員電車にごとごとゆられて、暗い夜道を歩いた。。

あたしは、いつものように浩司にメールしてた。

「こんばんわ。浩司つらいよ。」

「こんばんわレイコ。今日は星が見えるよ」

あたしは、かっとなった。

「どこにいるのか知んないけど、星なんか一つも見えないわよ」

「レイコ、俺まだ会社にいるんだよ。・・・もう曇ってないよ。綺麗な星だよ・・・」

「あたしには星なんか見えない。ひとつも見えない」

「レイコ、どこにいるの?」

あたしは、携帯を放りだした。あとからあとから涙が出てきた。ひとりでベッドに突っ伏して、思い切り泣いた。

すると・・・

あたしの携帯から、”Pretty With A Pistol"が流れ出した・・・

おそるおそる、あたしは携帯を取った。

「レイコちゃん、大丈夫?」

懐かしい、3ヶ月ぶりの浩司の声だ。

「ごめんね浩司。・・・大丈夫、大丈夫だよ」

「いや、『大丈夫』って言ってても大丈夫じゃないことって、あるから。今のレイコちゃんは、それだよ」

あたしは嗚咽した。

「我慢、出来なかったの・・・」

「元彼が、だろ?」浩司の声は、あくまでも優しかった。

「うん・・・」

「いくら、『犯されてMに目覚めましたぁ』なんて取り繕ってても、それくらいは分かるよ」

「いや!いや!いやだったの・・・」あたしは、赤ん坊みたいに泣いた。

「レイコ」

「ん・・・」

「それは、元彼が全面的に悪いと俺は思う」

「・・・・・」あたしは、ようやく立ちあがってカーテンを少し開いてみた。「星、見えるよ」

「え?」

「星、見える。・・・今、どっかで浩司と同じ星みてる」

「おやすみレイコ」

電話は、ふっと切れた。

何だか、この半年の重荷が、肩から全部とれたような感じだ・・・

浩司。

浩司。

あたし、初めて男を信用したよ。好きに、なっちゃったよ。

「浩司、おやすみ」

いつものように、返信はない。

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第二十章

籠の鳥ーJAILBIRD-


・・・調べてみたところ、ALAのミーティングは、クリニックに程近い教会で、月曜の夜7時から、開かれているらしい。

亜美は、ちょっと顔をしかめた。帰りが夜9時以降になる、暗い街並みにある教会への外出を、父親が認めるとは思えない。

亜美は決めた。

(いいわ。クリニックの処置室は、午後5時までは何とか粘れる筈だわ。・・・それから、喫茶店で時間を潰して、ALAに行ってみよう)

しかし、事は思ったように運ばなかった。

次の月曜日。いつものように、処置室で大人しく寝ていると、深津サンが午後3時きっちりに布団をはぎ取りに来た。

「ほらほら、亜美ちゃん、もうデイケアの時間は終わりよ。家に、お帰んなさい」

「私、あんまり頭が痛くて・・・あとちょっと、寝ていてはだめですか?」

「だめよ」

亜美は、祈るように言った。

「では、あと30分だけ・・・」

「仕方ないわねぇ」

深津サンは、処置室から出て行った。やれやれ。

ところが、30分後には今度は木崎がやって来た。

「亜美さん」

亜美は、聞こえないふりをした。

「亜美さん。・・・あなたが処置室でいつも寝ている事自体、そもそもクリニックの規則違反です。頭が痛いなら、タクシーでお帰りなさい」

「・・・はい」

しぶしぶ、亜美は起き上がった。木崎は、かなり怖い顔で睨んでいる。

(仕方ないわ。・・・あと、3時間半、どこかで時間を潰さなければ)

亜美は、わざとのろのろと支度をして、クリニックの門を出た。外はまだ明るい。

(どうしよう・・・)

亜美は、教会への一本道を歩き出した。時は、もう秋だった。街路樹の少し黄色く変色した、様子が目に染みた。

教会へは、すぐ着いてしまった。・・・まだ4時だ。

亜美は、きょろきょろと喫茶店を探した。ある。「CAFE NOIR」

中に入ると、喜ばしいことに客は2~3人だった。亜美は、クロックムッシュを注文すると、ゆっくりゆっくり歯で噛みしめて食べた。

まだ、4時半だ。

「コーヒー下さい」

亜美は、喫茶店で紅茶でなくコーヒーを飲むのは、これが初めてだった。間をおいて、濃い茶色の液体が運ばれてきた。・・・かなり苦い。

(仕方ないわ。・・・これは冒険なんだもの)

たっぷりと、ミルクと砂糖を入れると、それはゆっくり飲むのに適した飲み物であることが、亜美にも分かった。亜美は、横のマガジンラックからクラシック雑誌を取ると、記事を眺めながら、何とか1時間かけて、それを飲み干すことが出来た。

それから、30分、亜美は席で大人しくしていた。・・・すると、店員がうろうろと店じまいを始めた。

「あの・・・」

「お客さん、申し訳ありません。うちは、6時閉店なんですよ」

亜美は、900円払うと外に出た。もう、かなり辺りは暗い。教会は、目の前だった。・・・門をくぐると、懐かしい母方の祖母の匂いがする、と亜美は思った。亜美の母方の祖母は、カナダ人を母親に持つ人だった。・・・敬虔なクリスチャンでもあり、亜美の母親とは違って、厳しくはあったが、可愛がられた想い出がかすかに脳裏に残っている。

「ALA、午後7時から8時半、図書室」と脇の黒板には書いてある。

電気のスイッチをつけて図書室に入ると、まだ誰もいなかった。ただ、木彫りのマリア像が亜美を見守るように壁から視線を落としていた。

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その8

Morning Glory

それで。

次の晩、あたし言った。

「浩司・・・」

「ん?」

「会いたいよ」

「いや、俺は今のレイコに会う気はないよ」

「どおして・・・?」

「だって、レイコ今まだ、ラブホ見るだけで本当は怖いんだろ・・・?」

「うん」

「そんな女の子と、会えないよ」

「じゃ、リハビリして」あたしは少し甘ったるい声を出した。

「え・・・?」

「愛情のあるSEXってどんなだか、知りたいの」

浩司は、ちょっと躊躇ってから言った。「分かった」

「嬉しい・・・。あたしだって、『可愛い』とか『素敵』って言われてみたいんだ」

「じゃね。バスタオル出して」

「え・・・?うん」

「それで、レイコの自慢の胸をゆっくりゆっくり、包むようになぜてごらん」

「あっ・・・」

あたしは、くらくらした。バスタオルでおっぱいを撫ぜてるだけで、逝っちゃいそうになるなんて・・・

「乳首、コリコリだよぉ・・・あっ・・・あっ・・・」

「ふふ、恥ずかしい敏感レイコちゃん」

「あああ」

「次はね、可愛い唇の周りを、ゆっくり爪でなぞって・・・鼻からほっぺたへ、そして顎へ」

「は」

「そして、唇を爪でなぞって」

「ああああ・・・」あたし、本当に浩司にキスされてるみたいだ。

「感じるでしょう?」

「うん・・・はっ、はっ、はっ」

「そしたら、次は同じように大きな恥ずかしい胸を爪でなぞって・・・それから乳首をつまんでごらん」

「あ・・・あ。あ。これだけで逝っちゃうよぉ」

「なんて敏感な子なのかな・・・」

「あああ」

「そしたらね・・・今度は、脚をゆるく開いて、背中をベッドにもたせかけて」

「はい」

「太ももの内側を、爪でなぞるんだよ」

「・・・あ、あ、あ」

「それでね・・・レイコちゃんの素敵なところを、爪でさすってごらん」

「・・・気持ちイイ。気持ちイイよぉ」あたしは、泣きそうになってあえぎながら言った。「ローターなんかより、ずっとずっと気持ちイイよぉ・・・」

「ふふふふ」

「ああ」

「レイコばっかり気持ちよくて、俺はちょっと悔しい」

「あ・・・」

「逝っちゃった?・・・早いね」

「だって・・・」

「普通、女性の体は」浩司は、急にオタクっぽい口調で言った。

「触るだけで感じるのは普通。もっとが潮吹き。それから、中で入れられるとオーガズムから昇天、これが100点・・・てな、感じなんだけど、レイコはまだ20点くらいなんだな」

「ん・・・」あたしは言った。

「浩司が、あたしの体、開発して・・・」

「いいの?」浩司は、ちょっと驚いたように言った。

「いいよ」

「やらしくしちゃうよ」

「やらしい体に、して・・・」

夜は、更けてゆく。

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その9

Morning Glory

「だけどさ」

「んっ・・・?」

「あたしのアソコって、どうなってるんだろう・・・」

「それはさ」

浩司は、突然言った。「女性のサイズなんてそれぞれなんだよ。処女膜もね。・・・切開しないと、SEX出来ない人もいるってくらいだから」

「それかな・・・。一輝とやったとき、どくどく血があふれて、翌日まで止まんなかった・・・」

「ええ?」浩司は、吃驚したみたいだった。あたしはあわわと口を押さえた。

「もしかして」

「そう」

「それが初めて?レイコちゃんいくつ??」

「26・・・」

「あきれたな」あたしは、うなだれた。

「いやその」浩司は、あわてて言った。

「そうじゃなくてさ・・・。それじゃ、ピストン運動ってそれが初めてだったの?」

「ううん・・・それがその・・・」

「前にも?」

「じゃなくて、一輝は、あたしがあんまり痛がるから、ただ入れただけだったの・・・動かして、ないの」

「ええええ?」

浩司は、本当に驚いたみたいだった。

「それじゃ、ほとんど処女じゃないか、レイコちゃん」

「そおなの・・・」あたしはついに白状した。ああ情けない。

「それを知ってたら」浩司は、興奮して続けた。「最初から、あんな無茶ぶりはしなかったよ・・・あんな、ハードな命令はさ」

「うん」あたしは小さくなった。「その後、別れたの」

「それじゃ、経験回数も1桁でしょう?ホテル行ったこと自体がさぁ」

「浩司は・・・?」

「俺は、経験人数が1桁」

「じゃ」あたしは言った。「電車男じゃないじゃない・・・モテるんじゃない、浩司」

「そうかなぁ?」浩司は、不思議そうに言った。「世の中には、100人とやりましたとか、1000人とやりました、って言う人もいるよ」

(だって、それってアホだし・・・)と、思いつつあたしは言った。「1桁というのは、1から9まであるでしょ。世の中には、26になってまだドーテーって人もいるよ」

「それも普通だよ」

「浩司いくつなの?」

「33」

(やっぱり多い方だと思うけど・・・もし、経験人数8人だとしたら・・・。そしたら、8X10回ううん100回で、800回くらい、やったのかなぁ。見当つかんわ)

浩司は、あたしの思いには気づかずに、続けた。「それじゃ、大体レイコちゃん、正しいオナニーの仕方知らないんじゃない?もしかして。」

「え?」

「正しい仕方はね」

「うん」

「さっき言ったような姿勢で・・・クリを優しく撫でながら・・・指を穴に入れるの。やってみて」

「はい」

浩司の命令には、あたしは素直だ。あたしは、背をもたせかけて脚を開いた。

「そしたらね・・・クリをまず触ってると、お口が開いてくるでしょう?」

「あ・・・あっ・・・開いて、来てる」もう、あたしは声がうわずってる。

「そしたら、指を、1本しか今は入らないと思うけど、段々2本入れる練習をするの」

「ああ・・・」

「そして」浩司は、相変わらず冷静な声で続けた。「穴に指を入れながら、手のひらでクリをマッサージする練習をするんだよ。ちょっと難しいけど」

「来る・・・来るぅ」

「何度も逝っちゃったことなんてないんでしょう?男のが、アソコで動く感覚も知らないんでしょ?」

「あああ・・・」あたしは、また逝ってしまった。

「浩司・・・」あたしは言った。「あたし、浩司のものになる」

「嬉しいよ」

「証明写真、送る・・・」

あたしは、まだ震えている片手で、初めて浩司のために思い切って写メを撮った。全裸の胸がはだけてる・・・。脚は、やらしく開いてる。

そこに、「浩司の雌犬」ってロゴを入れて、恥ずかしい写メを送った。「見て」

「うれしいよね・・・俺の雌犬、なんてさ、自分から・・・」

「あ・・・」

「これ、今日1日待ち受けにすること。それが最初の命令」

「えええ?いやだ・・・」

「もう、濡れてるでしょう。びしょびしょでしょう」

「もう、許して」

「だめ」浩司は言った。「レイコは俺の雌犬だもん。許さない。こんな快感、序の口だよ」

「ん・・・」

「もう、おやすみ。5時だよ」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

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その10

Morning Glory

日曜日だった。・・・あたしは、11時ごろのんびりベッドから起き上がった。日は、もう高い。

と、携帯から「TANK!」が流れた。

浩司からの、メールだ・・・なになに?

「今日の調教、その1.ブラとパンティの、乳首とアソコが感じるところに、スナップを縫いつけるんだよ。」

スナップ?あったっけ。

あたしは、キティちゃんのソーイングセットに、ちょうど3つスナップが入ってるのを発見、した。白とピンクの花柄の、お揃いのブラとパンティに、手早く縫いつけると、早速着てみた・・・

「どお?」

「んん・・・感じる」

「そのままで、今日は1日外出すること」メールは、そこで切れた。

どうしよう・・・

迷ったあげく、あたしは外へ出た。まずスーパーに、明日からの食材、買い出しにいかなきゃ。

とは、言うものの。浩司の「ご命令」は、やっぱ効く。・・・歩くたんびに、敏感なとこが擦れて、逝っちゃいそうになるじゃないよ。

スーパーについた時点で、あたしはもうかなりイってた。ふと鏡、見ると、自分がうるんだ眼をしてるじゃない・・・

「どお?感じるかなぁ?」

「・・・やらしい顔、しちゃってる・・・」

「じゃ、頑張ってね」

ちょっとお。浩司、イジワル。・・・まるで、おもちゃ見つけた子どもみたい。

あたしは、取敢えず買い物をなんとか済ますと、近くのスタバに駆け込んで、トイレのドアを閉めた。メールがピーンと、見透かすように来た。

「今、どこ?」

「スタバのトイレ・・・」あたしは、真赤になって打った。

「ふふ・・・我慢出来なかったんだ。じゃ、そこでね、”浩司の雌犬”の写メ、開いてご覧」

「あ・・・」

「ふふ・・・逝っちゃう、でしょ?」

「こんな、とこで・・・」

「オナ、するの。淫乱レイコちゃん。報告聞かせてね」

仕方ない。それに、あたしも限界・・・

あたしは、浩司に教えられたとおりに、ポーズした。指で触ってみたら・・・思ったより、濡れ濡れじゃない。

「あ・・・あ・・・逝く・・・」

「逝く?」

「恥ずかしいよぉ・・・あぁ」

「レイコちゃん、上でき。よくやったね。」

メールは、そのまま切れた。あたしは、お客の顔色を気にしながらトイレを出た。

「ちょっと、浩司。・・・あたし、浩司のおもちゃ?それとも女?」

「雌犬」

端的な台詞に、あたしはほんとに雌犬みたいに呻った。

「なぁに?俺の雌犬になりたいんでしょう?レイコ」

「それは、そうだけど・・・」

「ん?」

「こんなことしてないで、リアルで会いたいよ」

「今は、レイコの従順さを試してる段階なの」

(・・・。いいけど。33の癖して、まるで、お気に入りのガンプラ見つけたガキだなぁ、こりゃ。)

「分かったわ。今日はお終い・・・?」

「うん、もういいよ。」

あたしは、少し安心して(とゆうかすっきりして)そろそろ暮れてきた道を歩き出した。もう、そろそろ11月だ。街路樹の銀杏が眩しい。

帰り着くと、窓を閉めてブラとパンティを外して、全裸になった。・・・もっともあたしの部屋は、カーテンを引かなくっても、ほとんど外から見えない。

そのまま、ベッドに寝っ転がって、携帯を開いた。

「ねぇ浩司」

「ん・・・?今、ちょっと仕事さばいてるんだけど」

「写メ、みたい。どんな顔なのか、考えちゃうよ・・・。あの人かな、あんな顔かなって。」

「俺は、写メは送んないよ。・・・そんなの、会ったときでいいじゃない」

「いつ、会えるの・・・?X’mas・・・?」

「俺の仕事、年末年始が忙しいんだよ」

そんなぁ。

ま、いっか。

外は、暮れかけていた。

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第二十一章

籠の鳥ーJAILBIRD-


やがて、人が1人2人と入って来た。

どこか、やはり昔通った教会の日曜学校を思い出させる人ばかりだ。・・・リーダーらしき人が、机の上に、見慣れない本を1冊1冊並べてゆく。

7時きっちりに、亜美を含めて4人で「分かち合い」が始まった。

・・・亜美は、正直言って頭が痛すぎて、誰が何を言っているのか、ほとんど聞き取れなかった。ただ、皆がアル中の家族を持って苦労しているらしい事だけは分かった。

ふと、亜美の頭をよぎった事があった。

そう、あの母親がキッチンドリンカーになりかけた事があったのだ。

理由は、例によって忘れた。・・・確か、激怒した父親が、母親ではなく亜美を叱りつけたこと、台所のみりんに全部塩を入れてしまったこと、やがて母親が薬らしきものを処方されて、酒をやめたことだけをぼんやりと覚えている。

・・・亜美が、何を言おうかと、躊躇っていたとき、見覚えのある顔が、遅刻して部屋に入って来た。

東さんだ。

亜美は、びくっとすると同時に、自分はこれを待っていたのだと思った。

東さんは、席に着くと、よどみなく喋り始めた。しかし、亜美にはそのよどみなさにどこか嘘があるような気が、頭痛の片端で、した。

「分かち合い」は、終わった。亜美は、ついに喋らずじまいだった。

「では、献金の時間です」

亜美は、慌てて財布を探った。・・・一体、いくら入れればいいのだろうか・・・?

迷った末、亜美は持っている小銭を全部献金袋に入れた。

会計係らしき人が、袋を開ける。・・・驚いたことに、中には千円札も入っていた。

「さあ、片づけをしましょうね」

リーダーらしき人に言われて、亜美はおぼつかない手つきで、本類を箱に入れたり、ドアにかかっている「ALA」の掛札をとったりした。東さんは、いつものように隅で何もせずに凍りついたような微笑だけを浮かべていた。

帰る、時間だ。

もう、教会の外は暗い。リーダーらしき人と、あとの2人から差し出される手をとって、亜美はぎこちない握手をした。

(TAXYを呼ばなければ・・・。ここから、歩いて帰るのはちょっと無理だわ)

残された亜美が、一人で考えていると、どこからともなく東さんが近づいてきた。

(この人と帰るの・・・?一人きりよりは安心だけれど)

しかし、東さんは、亜美の正面に回って唐突に、思いつめたように言った。

「嵯峨さん」

「はい」

「私、木崎さんはあなたに渡しません」

「え・・・?」

「私は、木崎さんと結婚の約束をしています」

「・・・」

亜美が、絶句していると、東さんはそれだけ言い捨てて、暗い道を消えて行った。

(結婚・・・?結婚・・・?何のこと?)

考えれば、考えるほど頭痛がして、もう止まらない。

亜美は、少し歩いて、大通りでTAXYを拾って家に帰った。時刻は、9時を過ぎていた。

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その11

Morning Glory

それから。

日曜日には、定期的に浩司から「ご命令」が来るように、なった。

「こんばんは」

「こんばんは・・・」

「ふふ。今日はね・・・。レイコちゃんの部屋を、やらしくしてあげる」

「えっ・・・?」

「レイコちゃんの部屋は、もう檻なの。雌犬の檻」

「あ・・・」

「まだ、命令してないよ。とにかく、全裸になって」

「はい」

「そしたらね・・・。大好きな、四つん這いのポーズになって、乳首を床に摺りつけてごらん」

「あ・・・は・・・」

「何か、金属製のもの、ない?」

あたしは、あえぎながら答えた。「体重計なら、あるけど・・・」

「それに、乳首をなすりつけて」

「あっ・・・」あたしは、金属の、冷たい固い感触に、悶えた。

「体重計で感じてるレイコちゃん」

「あ・・・いや・・・」

「つぎはね・・・あそこを、ベッドサイドテーブルの角にね、こすって」

感じる。もう、打てない。

「次は、何がいいかな・・・。マニキュアの瓶あるかな?」

「あ・・・る・・・」

「10回だけ、出し入れを許すよ」

「あっ・・・あ、ああああ、あぁ」

「マニキュアの瓶で感じてる、いやらしいレイコ」

「いやぁ・・・あ・・・あ・・・」

「いや、じゃなくて、もっと、でしょ?」

「もっと・・・もっと・・・」

「今日は、これでお終い」

メールは、いつもこんな風にぷつっと切れる。

それ以来。あたしは、何となく変わり始めた。

まず。職場で、ぼんやりしていることが多くなった。

家では。よく、食べるようになった。

特に。引越しの時、一世一代の贅沢のつもりで買った、ホームベーカリーでパンを焼くことが多くなった。

浩司は、いつも言う。

「食事なんか、作りにこなくていいよ。俺、自分で作れるから」

でも、あたしは浩司のために、何かしたくなっていたのだ。・・・美味しいパンでも、疲れた時の一言でも、あげたくなっていたのだ。

どんな男と付き合っても、お湯のひとつも沸かさないあたしだったのに・・・。

だんだん、あたしは生き始めていたのだ。そう、自分でも気付かないうちに。

生きるって。

無理に誰かを愛する事じゃない。まず、誰かに愛される、求められることなのだ。・・・そうなのだ。あたしは、だんだん、女になり始めていたのだ。

忙しい日が、OLの勲章みたいに思っていたあたしが・・・。

日曜日の、午前0時が待ち遠しかった。

「レイコ」

「ん・・・?」

「だんだん、俺に流されることを覚えたね」

「うん」

「それで、いいのさ」

一方で、まだ生意気なあたしは思う。(・・・浩司は、シャアになった、つもりなのかなぁ。まぁ、いいや。)

「今日も、恥ずかしい命令して・・・」あたしは、甘える。

「困ったレイコちゃん。じゃ、サランラップ用意して」

「?」

「1mくらい出してね・・・。それを、左脚首に巻きつけるの。そして、背中にぐるっと回して、右脚首に」

「あ・・・」あたしは、見事にM字開脚になった。

「どお?」

「恥ずかしいよ・・・それに、きゅうくつ」

「でも、鏡で見てるんでしょう?」

その通りなのだ。・・・「あ。。。アソコが、丸見えだよ・・・ぁあ」

「そう、したかったんでしょう?」

「は・・・はい」

「いい子のレイコ。じゃね、それでオナして」

「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」

「見れないのが、ちょっと悔しい」

「だって・・・」あたしは、泣きそうになりながらメールした。「こんなとこ、写メに撮れない」

「いずれ、撮りたくなるよ」

「ああっ・・・」あたしは、逝ってしまった。

「今日は、これでお終い」

あたしは、疲れた体を横たえて、眠りにつく。深い、短い眠りに。

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その12

Morning Glory

12月に、なった。

街は、レッドとグリーンの装飾であふれかえってる。・・・あたしにも、・・・浩司とのメール以外には繋がりの何にもない、ひとりぼっちのあたしですらも、何となく、心が浮き立つ気がした。

すっかりお馴染みになったスタバで、X’masオリジナルの珈琲を飲んだら、何だかその暖かさにほっとした。

なんとしても、浩司に逢いたかった。・・・

最初の頃の、浩司のあったかい声を思わせる、スタバの珈琲。

「レイコちゃん」

そう、呼ばれながら抱きしめてもらいたかった。実際、あたしはリアルの愛撫に餓えていたのだ・・・。

でも。

「俺の仕事、人の仕事が終わった後が忙しいの。分かるでしょ?」

「うん。でも・・・」

「でも?」

(ホントに好きだったら、ホントに逢いたかったら、X’masイブの夜くらい、空けられる筈だよ)

と、ゆう台詞を、何故かあたしは飲みこんだ。

あたしは、まだ、自分のホントの気持ちを言うのに、慣れていなかったのだ。「うん、分かった」

そうメールして、あたしは携帯を閉じると外に出た。

もう、相当寒い。

「レイコ」

メールが、久しぶりに向こうから帰ってきた。

「俺ね・・・」

「ん?」

「何でもないよ。風邪、引かないで。気をつけて」

いつものように、優しいメールはそこで切れた。鈍いあたしも、流石に考えた。・・・以前、会社の受付の女の子が、俺のチャットの内容を知ったら驚くとかどうとかこうとか、と浩司が言ってたのを、ふと思い出したのだ。

(まさか)

(まさか、リアルの彼女が出来たんじゃ、浩司・・・。)

頭の中が、忙しくフラバした。・・・一度、浩司を問い詰めた事があった。

「浩司さぁ」

「ん?なぁに、レイコ」

「どうして、結婚しないの」

「それはさ。・・・理想の女性が、見つからないから」

(それは、あたしじゃダメって事か・・・)とゆう台詞を、その時もあたしは飲みこんで、言った。

「みんな、そこにいる人と結婚するもんじゃない?」

めずらしく、浩司は怒った口調で言った。「俺の友達に、そこにいる人と結婚した人なんていないし。俺は、理想の女性と結婚する」

・・・今、思えば、あたしは相当酷いことを言われていたのだ。

でも。あたしは誤魔化した。「ねぇ、エロしようよ」

「レイコは、切り替えが早いから」・・・浩司は、やっぱりちょっぴり怒っていた。でも。

考えている内に、部屋についた。あたしはすぐ、カーテンを引くと下着だけになった。浩司と、付き合っている内についてしまった習慣だ、これは。

ベッドで、あたしは何度も何度も寝がえりを打った。

ふと。

鏡を見て、あたしは愕然とした。・・・体が・・・

あの、プライドの高い一輝をして、「5才若く見える」と、嘆息させた体が、変わりはじめているのだ。

乳房は、もの欲しげに尖ってきている。ウエストは太くなって来てる。お尻は・・・いやらしい感じになってる。ただ、太ったというのとも何となく、違う。

「厭らしい躰」に、なってきているのだ。

浩司を。

ううん、「男を欲しがる体」に・・・。

あたしは呻った。これじゃ・・・。浩司の好きだった、可愛い写メがもうそろそろ送れない・・・。

浩司と、何としても逢いたいX’masが、もうそこまで来てるのに・・・。どうしよう。・・・覚悟を決めて、寝るっきゃない。


そして。久しぶりに仕事に揉まれている内に、X'masイブはあっけなく、来た。

会社からの帰り道、あたしは何度も携帯を確認した。

来ない。

来ない。

浩司からのメールが来ない。

家に着くと、何だか涙がぽろぽろこぼれてきた。・・・あたし、ネットストーカー化してるんだろうか・・・。

すると。

「Merry X’mas,レイコ。どうして最近怒ってばっかなのさ。気をつけてね。おやすみ」

わぁ、デコメだぁ。

可愛い、デコメ・・・まるで、小学生宛てみたい・・・。

・・・小・学・生・・・?

あたしは、いつの間にか、浩司に「奥さんの影」を、感じ始めてた。

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その13

Morning Glory

お正月が、来た。

あたしは、一人ぼっちで賽銭箱の前でポンと手を合わせた後、デパートで福袋を買った。・・・中に入ってたうさぎちゃんのグルミに、「こうじ」って名前をつけて、ちょっとほっとした。

浩司は、3ガ日は忙しいと言って、メールは来そうにない。

あたしは、めずらしくバイブちゃんもローターも使わず、AVも見ないでのんびりした。体に開放感があった。何もしないって、いいもんだと思った。

でも、夜ベッドに入ると、浩司の暖かい体を思い浮かべて、切なかった。

あたしは段々フツーの女になっていたのかも知れない。

4日、あたしは思い切って浩司に自分の気持ちを、初めてぶつけた。

「あけましておめでとう、浩司。今年もよろしく」

「あけましておめでとう、レイコ。寒いね」

「ねぇ・・・。浩司。”独身だ”って言ってたよね?隣の県境に住んでるって言ってたよね?」

「そうだよ。それがどうかしたの?」

「・・・会いたいよ、浩司」

「・・・」

「どおして黙るの・・・?浩司と、一度和幸のとんかつ食べたいんだよ」

「それだけ?」

「それだけって、何よ」

「俺は、責任取れない事したくないんだよ」

(もう、やっちゃってるんだよ浩司、)という言葉を飲みこんで、あたしは言った。

「だからさ・・・。ただ、食事したいの。それだけなの」

「・・・分かった・・・」

「ほんと?ほんと?」

「俺、嘘はつかないよ。だけど、開いてるの明後日だけだ」

「構わないよ!・・・で、どこで待ち合わせするの?」

「M駅。あとでまた、メールする」

あたしは、携帯を固く固く握りしめた。・・・とうとう。浩司に会えるんだ。

あたしは、クローゼットをひっかきまわした。一番。一番。綺麗に見える服でいかなきゃいけない・・・。

迷ったあげく、ベージュのワンピにカーキのモッズコート、それに赤と緑の花柄のストールをあたしは選んだ。それに、黒のトレンカとエナメルのパンプス。・・・少し、ギャルめのメイクを念入りにしよう・・・。

そして。

1月6日。

ついにあたしは、浩司に会った。

M駅の改札で指定された時間に待ってると、メールが来た。「俺、レイコと別の改札にいるの。移動して」

「うん・・・」

「レイコの姿が見えたら、電話するよ」

あたしは、別改札に向かうと、鳴ってる携帯を握りしめてあちこちを目線で探した・・・

いる。

携帯に、顔を近づけてる人がいる。・・・浩司だ。

浩司は、顔を上げて、言った。

「レイコちゃん・・・?」

「うん」

あたしが見た浩司は、どこから見ても33だった。・・・メールの内容からして、どことなく29くらいの外見を想像してたけど・・・。でも、その感じのいい笑顔は、あたしがこの半年間想像してた通りだった。

だけど。

浩司は、どことなく、くたびれていた。・・・仕事も、忙しいんだろう・・・

でも、あたしが感じたのは。「所帯持ち」の33の男の疲れ加減だったのだ。

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その14

Morning Glory

「はじめまして」

「はじめまして」

浩司は、疲れ果てた笑顔で、にこっと笑った。「レイコちゃん、可愛いよ」

「ありがとう・・・」

「とんかつ、食べに行こうね」

「うん。・・・この駅の、2Fでしょ」
 
「よく知ってるなぁ。じゃ、行こう」

浩司の後について、あたしは歩き出した。・・・浩司の、子どもみたいに。そう、歩いている内に、心に染みてきたのは・・・

あの、浩司の優しさは。

赤ン坊みたいなあたしを「あやす」のが上手かったのは・・・。

全部全部、「家庭」を持ってる男の・・・現実に子どもを持ってる男の、余裕だったのだ。

あっという間に、和幸には着いた。

「いらっしゃいませ」

「和幸定食2つね」

浩司は、先に注文すると席に座った。・・・あたしも座った。しばらくすると、とんかつが運ばれてきた。店内は、空いている。

あたしたちは、とりとめのない当たり障りのない会話をした。

「子ども、好き、浩司?」

「うん」

「ずいぶん、ラフな格好だね・・・。」

「だって、休日だもん」

「仕事、今日はないの?」

「うん、お休みだよ。レイコちゃんは?」

「あたしはサボリ」

「サボリ?だめじゃない」浩司は、ちょっと驚いた口調で言った。

あたしは。

嬉しかった。・・・正直、嬉しかった。浩司が、あたしと普通に話してくれて、美味しそうにとんかつをほおばるのを見ていて、幸せだった・・・。

でも。

なんだか。

この、疲れた背広の浩司と、ホテルに行きたく、なかった。そこには、なんとなく、バーチャルでは感じなかった、大きな壁があったのだ。そう、"不倫"と言う名前の。

あたしが迷っていると、浩司の携帯に着メロが、鳴った。

「ちょっと待っててね、レイコちゃん」

浩司は、わざわざトイレに立った。・・・あたしは、直感で思った。(奥さんだ・・・)

暫くして、また疲れた顔で帰って来た浩司は、言った。

「そろそろ出ようか」

「うん・・・」

この、駅のすぐ前には、ラブホがある。・・・でも、あたしは知らんぷりして、目線を素通りさせると言った。「スタバでお茶飲もうよ」

「うん」浩司は、半分ほっとして、半分残念そうだった。

スタバは、混んでいた。あたしは思い切って、一番高いオレンジハニーラテを注文した。浩司は、ソイラテを頼んだ。

「浩司・・・」

「うん?」浩司は、少しがっかりしたような視線をホテルに投げかけながら、言った。

「理想の奥さん、見つかった?」

「いや、まだだよ」

「そう」

会話は、そこで途切れた。・・・あたし達は、黙って、暖かいコーヒーを飲み干した。

「そろそろ行こうか」

「うん」

駅が、すぐ目の前にある。あたしは、紙袋をごそごそして言った。「待って」

「うん?」

「これ、あたしが焼いたパネトーネ。・・・よかったら、食べて」

「そうするよ」

浩司は、軽い筈のパネトーネを、重たそうに受け取った。

「じゃあね、レイコ」

「ばいばい、浩司」

浩司の後ろ姿が、駅の構内に消えてゆく。浩司は、また鳴りだしてるらしい携帯に向かって、パネトーネの袋を片手に話してるのが、遠目に見えた。

あたしは、ふいに泣きたくなった。・・・でも、涙は出て来なかった。

3日後。浩司から短文のメールが来た。

「俺、結婚しました。」

「おめでとう浩司」

「ありがとうレイコ」

そしてあたしは。次の日、2時間かけて海へ行った。電車は、ごとごと揺れてつらかったけど、我慢した。

海は。

とてもとても綺麗だった。

あたしは、波打ち際に立って、浩司との思い出が、全部つまった携帯を、ぽーんと出来るだけ冷たい冬の海へ、放り投げた。・・・それから、うずくまって1時間泣いた。

浩司。

浩司。

あたしの神さまだったひと。・・・お父さんだった人。

ありがとうさようなら。

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第二十二章

籠の鳥ーJAILBIRD-


次の月曜日、東さんはデイケアに来なかった。・・・次の週も、次の週も、来なかった。

「あの、深津サン」

「はい・・・?」

「東さんはどうしたんですか?」

「ああ、東さんね」深津サンは、ふっと暗い顔になって言った。「どうやら、鬱が再発してしまったみたいなのよ。暫く、お休みね」

(何か、変・・・)

その晩、亜美は、頭の中で立てた、ある仮説を証明しようと、電話帳に向かった。

(東・・・東・・・)

電話帳に、それらしき名字で、クリニックと同じ町名にあるのは一つだけだ。

亜美は、深呼吸した。それから、震える手でダイヤルした。

「もしもし・・・」

「はい、東です」聞き覚えのある声がした。亜美は、間髪入れず本題に入った。

「私、嵯峨です・・・。東さん。あなた、もしかして、木崎さんに騙されたんじゃない?」

電話の向こうから、消え入りそうな声がした。

「わたし・・・木崎さんが、急に起き上がって・・・『君は、どこまで未熟なんだ。僕の教えた事を、ちっとも理解していない。しばらく、デイケアには来ないように』と・・・」

電話は、そこで切れた。亜美は、電話を握りしめた。

(やっぱり)

(やっぱり)

(木崎さんは・・・私にしたのと同じように、東さんに先に近づいて、それで・・・)

ふと、振り向くと、母親がドアの入り口にいた。

「お母さん・・・」

「亜美ちゃん」例の、気持ちの悪い猫なで声がした。「木崎さんが、どんな人か分ったでしょう?ね?もう、デイケアには貴女も行かない事」

「立ち聞き、したのね・・・」

「あら、だって、母親ですもの」

亜美は、力いっぱい母親を突きとばした。母親は、転びそうな体勢からしたたかに立ち上がって、亜美から受話器を奪った。

「もしもし」母親は、110番を回している。

「もしもし・・・娘が、統合失調症で、私を殺そうとしています・・・助けて下さい」

亜美は、呆然と立ち尽くした。・・・間髪を入れずに、サイレンの音が嵯峨家に近づいていた。

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第二十三章

籠の鳥ーJAILBIRD-


やがて、気が遠くなっている亜美の周りを、いつの間にか4人の警官が取り囲んでいた。・・・彼らは、勝手にベッドルームに入って来たのだ。

「これは、どういうことですか」

「娘が・・・娘が私を殺そうと・・・」

亜美は、両耳を抱えて叫んだ。

「私・・・何もしていません」

「何を言ってるんだ、亜美」

「私のご飯が、出来ていないことがあります。私のお風呂が、沸いていないことがあります」

「ウソおっしゃい、亜美さん」サイトウさんが割り込んだ。

「私、さみしいんです」

警官の、リーダー格らしき人が言った。

「もう、いいです。お嬢さん」

警官たちは、亜美の部屋から出て行った。亜美は、初めて自分をこらえた。

(ここで大人しくしていなければ)

(ここで大人しくしていなければ)

気が遠くなる程待ったと思ったが、実際は30分程して、警官たちは亜美の部屋に戻って来た。

「君の、お母さんは、入院します」

「・・・」

「君は、部屋でじっとしていること。お母さんがいなくなっても、家族仲良くすること。出来ますね?」

「はい」

亜美は、消え入りそうな声で言った。頷くと、警官たちはまた出て行った。

サイレンの音が、だんだん遠ざかる。亜美は、母親と揉み合った結果、腕にかすり傷が出来て血が出ているのに、やっと気づいた。・・・絆創膏は・・・ない。

亜美が、傷を舌で舐めて傷口を塞いでいると、小1時間ほどして父親が入って来た。・・・父親は、一周り小さくなったように見えた。

「お前が、お母さんを追いだした」

「・・・」

「お母さんは、怪我はしていないが・・・。病院に入れないと、お前と引き離さないと、いずれTV沙汰になると、警察が言った。・・・嵯峨家から、そんな醜聞は出せない」

「・・・」

「サイトウさんは、辞めるそうだよ」

「・・・」

「お前が、お母さんを、追い出した」

父親は、そう繰り返すと、自室に消えて行った。亜美は、ひたすら思った。

(明けない夜はない)

(明けない夜はない)

(朝になれば、きっと、いいことがある)

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第二十四章

籠の鳥ーJAILBIRD-


次の朝は、以外とあっけなく来た。

ほとんど眠れなかった亜美が、頭痛を抱えながら階下へ降りてくると、おびえたような感じの50代の女性が、挨拶した。

「新しい家政婦の、ホリウチです。どうかよろしく」

ホリウチさんの作った、今までに食べたことが無いほど不味い、ハムサラダとトーストを何とか平らげると、亜美は憂鬱な足を引きずってクリニックに、行った。

どくとるマンボウは、3時間前に待合室についたせいもあるが、今日と言う今日は、最初に診てくれた。

「亜美ちゃん・・・」

「すみません」

「お母さんとは、暫く連絡はとれませんよ」

「・・・」

「僕も、少し疲れた」

「・・・」

「大ヶ丘先生のところへ、行きなさい」

「転院・・・ですか」

「いや」どくとるマンボウは、言った。「大ヶ丘先生は、引きこもり専門の優秀なカウンセラーだよ。ここからちょっと、離れているが・・・。いい人だ。私が、紹介状を書きます」

「ありがとうございます」

診察が、ようやく終わって、3Fへ上がると、例によって、廊下で話を全部聞いてくれた木崎(と深津サン)は、言った。

「まず、君は退院してきたら、お母さんに謝らなくちゃいけない」

「はい・・・」

「しかし、僕・・・僕たちはそれより、以前から言いたい事があったんだ」

「?」

「君は、統合失調症ではなく、アスペルガー症候群だと思う」

「アスぺルガー?」亜美は、鸚鵡返しに言った。

「深津さんとも、話していたんだが・・・。統合失調症の患者と言うのは、発病までの社会性はあるはずだ。・・・しかし、君にはそれがない。知能は高いのに、ここのデイケアの中で、一番社会性に欠けている」

「・・・」

「で、話が最初は、乖離人格症ではないかと言う事になった。しかし、患者の手記を読んでみるとどうも違う。」

「・・・はぁ」

「要するに、だ」深津さんも同時に頷いた。

「君は、発達障害だと思う」

「発達・・・障害・・・」

「この件に関しては、センセイと随分喧嘩した。センセイは、古くて未だに発達障害と言う概念を認めていないからね」

「わたし・・・そういえば・・・」

「ん?」

「最初の正式な病院で、主治医の先生に言われました。『君は、統合失調症と言うには、何か1%違う』、と」

「それは、どこの、何先生?」

「・・・S和病院の、H先生」

「ありがとう」木崎は、勢いよく立ちあがった。

「今日は、亜美ちゃんがお味噌汁の日よ。しっかりね」深津サンが言った。

「頑張ります」

デイケアは、あっけなく過ぎた。・・・3時だ。帰る時間だ。

例の、ホワイトボードを見ていると、1つの新しいマップが目を惹いた。

「DEPT。”共依存からの回復の会”。K教会、毎週土曜午前10:15~11:45」

亜美は言った。「これは・・・」

木崎は言った。「ああ、お勧めだよ。平日の午前にやっているミーティングもある。・・・今度、君のお父さんから、『娘をふらふら夜歩きさせないで欲しい』というお願いがあったからね」

「はい」

亜美は思った。(出てみよう・・・。なんでもいい。これから、あの父と、二人きりの生活が始まるのだから。出来るだけ、家にいる時間が少ない方がいい)

・・・この時、亜美の中に、一つの扉が開いたことに、亜美はまだ気づいていなかった。

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第二十五章

籠の鳥ーJAILBIRD-


しかし。

亜美は、それきり何故かぷつんとミーティングへの参加をとぎらせていた。

その代わり、毎日デイケアへ行った。他の皆のメンバーは、相変わらず亜美に冷たいと言うより、無関心だったが、亜美は平気だった。

木崎が、好きだった。

自分に関心を寄せてくれる人に、出会うのはこれが初めてだった。

もう、一つ。

大ヶ丘先生との出会いがあった。

大ヶ丘先生は、亜美の住む街の、郊外の草ぼうぼうの一角に、カウンセリングルームを開いていた。・・・そこに、初めて行った時のことを、亜美は決して忘れないと思った。

最初、その白い、小さなカウンセリングルームに行った時、亜美は正直脅えていた。備え付けのスリッパを、間違えてはかずに、ストッキングのまま部屋に上がってしまったのが、その最大のあらわれだった。・・・しかし、大ヶ丘先生は笑わなかった。

「嵯峨さん、スリッパがここにありますよ」

先生は、そう言ってゆったりした仕草で、亜美に番茶をとぽとぽと注いだ。・・・この、小父さんが亜美は即座に気に入った。

亜美は、自分のために注がれた番茶を啜りながら、ぽつぽつと大ヶ丘先生の質問に答えた。

「なるほど・・・。君のお母さんは、勝手に君のPCの足跡を追跡してしまうの?」

「はい。昔からそうでした。私への手紙も、弟のゆうへの手紙も、勝手に開封してしまう人でした」

「そう。お母さんは、『ボーダーライン』が引けない人なんだね」

「ええ・・・」

「しかし、どうしてそれが分かったの?」

「私の行きつけのネットカフェで、一度、ネームカードを忘れて、苗字と住所を名乗ったら、母のカードが出て来たんです」

「うん」

「それで・・・。何故、いちいち私のPC上の行動に詳しいのか、謎が解けました」

「しかし、お母さんは自分のために勝手にネットカフェに行っていたと言うことはない?」

亜美は、かぶりを振った。「あそこは、贅沢好きの母が、行くようなところで本来ありません」

「うむ・・・」

「それで、父にそれとなく母の行動を告げ口したら」

「ううむ」

「今度は、近所の図書館のPCから、私を追跡しているみたいなんです」

「分からないねぇ」

「私にも、分かりません」

「君の、『勝ち組』の周りの人は、『それは、お母さんが貴女を心配しているからだ』と言うでしょう?」

「どうしてそれがわかるんですか?」

「それは、本当は違うからだよ。・・・自分の子どもを、信頼するとは、そういう行動を取ることではない。」

「・・・木崎さんも、そうおっしゃいました」

「木崎ねぇ」

「御存じなんですか?」

「ああ」

亜美は、あんぐりと口を開けた。「まさか・・・木崎さんも、やっぱり昔ここに通っていて、それで」

「それは、どうかな。私はここで会った人の事は誰にも話さない」

亜美は、帰り道、自転車をこぎながら思った。(木崎さんは・・・やっぱり、”回復者”だったのだ。だから、他のケースワーカーとどことなく違うのだ・・・でも、このことは誰にも言ってはいけない)

その、小さなカウンセリングルームに、週1回通うのが、亜美のもうひとつの目的になった。

「ここではね・・・」

「え?」

「セルフヘルプグループに、参加することを前提に、話し合いをしている」

「はい」

「回復は、一人の力では難しい」

「わたし・・・DEPTに参加しようかと・・・」

「それは、いい。”DEPT”の意味を知っている?」

「いいえ」

「”独立”だよ。」

亜美が、その言葉を聞いたのは、X’masの前日だった。

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第二十六章

籠の鳥ーJAILBIRD-


その晩、亜美は夢を見た。

例の、重苦しい夢だ。

亜美は、12人の人と十畳程度の部屋に押し込められている。・・・自由なのは、狭い食堂に出て、3食を取る時間だけだ。

亜美以外の誰も、口が利けない。耳も聞こえはするものの、言葉と言うものを解さない。

「言葉」というものが存在しない世界に、亜美はもう8ヶ月間閉じ込められている。

誰もが、亜美を蹴飛ばす。中には、おやつのカップ焼きそばを亜美の頭に、面白がってぶっかけたりするものもいる。

助けは、来ない。

どこからも、来ない。

亜美は、ただ恐怖と諦めの中に、その部屋の片隅でうずくまっている。

真っ暗な部屋で、息苦しさから亜美は、目を覚ました。それから、大きく深呼吸をした。

(あれは夢じゃない)

(現実だ・・・。私は、8ヶ月間”あそこ”にいたのだ)

そう。

亜美が、大学2年の春。・・・手酷い失恋をした亜美は、一人ぼっちの下宿から家にふらふらと帰った。玄関口で、倒れた亜美を見て、母親は弟のゆうに出す、おやつのお盆を持ったまま、ふとかぶりを振っただけで、亜美を助け起こそうともせずに、通り過ぎた。

何とか立ちあがった亜美は、母方の祖母の部屋に向かった。

亜美に、何の知らせもなく、そこには祖母の遺影と線香だけがあった。

祖母の形見の箪笥を、ひっかきまわすと、案の定睡眠薬が出てきた。一気に、口に頬張ろうとすると、後ろから母親の冷たい声が響いた。

「亜美ちゃん、今時そんなもの一瓶では死ねないのよ。みっともないこと」

後から入って来た父親は、気がつくと亜美を強かに殴りつけた。

「馬鹿が」

「馬鹿が」

「お前の、根性が甘いんだ。こういう娘は、殴らなければ根性がねじ曲がる。」

母親の、笑い声が部屋中に響いていた。

「お前は、知り合いの病院にやる。そこで、看護師見習いでもして、その腐った根性を叩き直すんだ」

亜美は、数日後、父の知り合いの経営する、地方の外科病棟の看護師見習いにさせられた。そこは、家にも増した地獄だった。他の、看護師に苛めぬかれた亜美は、人格崩壊寸前に達した。

慌てた両親は、今度は、亜美をその程近くの、母親の親友の家に預けた。記憶がぼやけていて、よくは覚えていないが、両親がへつらうように土下座をしていたこと。それから、暗い知らない家の玄関を、逃げるように出て行ったことを記憶している。

・・・困り果てた小母さんは、親切にも、精神科医である息子の嫁を呼んでくれた。次の朝、小奇麗な病院で診察を受けたことまでは覚えている・・・

しかし。

何故か、亜美が送られたのはそこではなく、遠い僻地の、重度の知的障害者が集まる病院だったのだ。

そこは、『地獄』という言葉さえ、相応しくないところだった。

両親はもとより、弟のゆうも見舞には来なかった。

強制入院させられて8ヶ月目。・・・病院の、盆踊りの日に、見舞いに来てくれた小母さんが、亜美に浴衣を着せつけをしようとして、部屋に入り。仰天して、親戚にそれを知らせたのだ。

「周囲の目」が、何よりも怖い両親は、この噂に亜美の転院手続きをしぶしぶ取った。・・・亜美は、3日後、「日本一」と言われる精神病院の個室にいた。隣には、今は世界的有名人となった画家の患者が入院していた。

そこは、楽園だった。亜美は、よく他の患者とセブンブリッジと大貧民をした。開放病棟だったので、映画にも宝塚にも出かけられた。もちろん食事にも。

そこには、弟のゆうもたまに顔を出していた。

だが。

1年後、亜美はリストカットをして、またしても転院を余儀なくされた。

そこは、可も無く不可も無い、普通の精神病院だった。

朝、6人部屋で起きて顔を洗う。不味い朝食の後、ラジオ体操をする。各自が各自の洗濯をすませると、昼食。・・・それから、夕食。

(まるで、作業のない刑務所みたいだわ)

亜美は、3ヶ月後そこを出たが、もう、亜美はもとの亜美ではなかった。・・・家には帰れたが、ゆうはいつの間にか家を出ていた。両親の亜美を見る眼は、醜い蛙を見るように冷たかった。

それから。

亜美の、父の親友の小父さんと、中学時代の親友と、各々月に1回食事をし、あとは毎週「どくとるマンボウ」の元に通う生活が始まったのだ・・・。

いつしか、亜美は口を利かなくなっていた。

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第二十七章

籠の鳥ーJAILBIRD-


まんじりともせずに、亜美の最悪のX'masイブは、過ぎた。・・・早朝、亜美は頭痛を抱えながら、例によってPCを開いていると、探していた情報が飛び込んできた。

「DEPT,12月25日。X'masランチ会。13;00~15;00.レストランバッハ」

(これだ・・・。出て、見よう)

亜美は、髪を洗ってとかすと、慣れない手つきで眉を整えた。右眉が、少しびっこになった。・・・着てゆく服は、一番地味な外出着を選んだ。

レストランバッハは、亜美の街から1駅離れた市にあるらしい。

グレイのコートを着て、駅まで寒い道を速足で歩いた。もう、慣れてきた電車に乗ると、周りが少し見えてきた亜美には、カップルの姿が眩しかった。

(私にも・・・ああいう風な日が来るのかしら)

駅を降りると、樹々のイルミネーションが、消灯したままさみしそうにぶら下がっていた。レストランバッハは、その名に似合わず、イタリアンの店だった。

中は、人いきれでざわざわしている。

ひときわ目立つ女性が、中心で大声で話していた。片手には、マルボロをくゆらせている。

「それでね・・・。3ヶ月たったら、旦那に連絡してみようかと思ったのよ。あの、アルコホーリクのDV野郎にね。でも、あたしの共依存も3ヶ月ですっかり抜けてたのよ」

周囲の、華やかな(・・・亜美と、同年代と思える)人達が、どっと笑った。

「それはさ、朱実さん。君が11年間、ミーティングに出続けた賜物だよ。僕はそう思う」気のよさそうな、年長の男性が話しかけている。

「・・・どうしても、回復したかったから」

「モロボシさん、朱実さんフリーになったのよ。どうする?オールドタイマー同士でしょ?」

「やめてよぉ。もう、男はこりごり」

「言われてるわねぇ」

亜美は、割り込んだ。

「あのぉ・・・」

「ん?」

「わたし・・・初めて来ました。分かち合い、まだです。いいですか・・・?」

「ああ、ニューカマーさんね。よろしく。あなたのアノニマスネームは?」

「アミ」

「わたし、朱実。よろしくね」

「アミさん、初めまして。モロボシと言います」

「きゃぁ、この子駄目よぉ。いきなり話しかけちゃあ。・・・脅えてるじゃないの」朱実さんは、ずけずけと言った。「もしかして、引きこもり?よく、いるわよDEPTにも。遠慮しなくていいのよ」

「はぁ・・・いえ、ええ」

「誰と、共依存してるの?両親?」

「前は・・・母です。でも、出ていきました。私の、共依存の相手は、主に援助職の人です」

「仲間ね」

「仲間だ」モロボシさんと呼ばれている男性も、つぶやくように言った。

「もしかして、あなた、あのぶっ殺したいカウンセラーのとこ、通ってるの?」

「え・・・」

「いいのよ、いいのよ。ここでは”ボクサー”と言いなさいね。・・・それが、彼のアノニマスネームだから。」朱実さんは、続けた。「私、彼とこの会を立ち上げて11年になるのよ」

「私・・・カウンセラーを、やりこめてしまうのが癖で・・・前の人は、病気になっちゃったんです」

「あちゃー、そりゃ燃え尽きだ。あんたの責任と違うよ」朱実さんは、2本目のマルボロをくわえながら言った。

「そうだよ。援助職なんて、共依存の塊だからな」

亜美は、こんなにいきなり、話の中心に飛び込めた事に驚いていた。(ここは、SAYANとは全然違う・・・ALAとも、別世界だ)

モロボシさんは、亜美の気持ちを見透かしたように言った。「ここは、サナトリウムDEPTって別名なんだよ。スパゲッティ、頼むかい?」

「ええ。・・・ぺペロンチーノお願いします」

「よし」

モロボシさんは、メニューをわざわざ取りに出て行った。

「あの人、『業界人』だからね。この、ビョーキの業界」朱実さんはウインクした。・・・亜美にも、次第に他の人の顔も区別がついてきた。

「あんたのお母さん、病気だね。・・・母親が、ミーティングに出ればいいのにね」

「え・・・ええ」

「メニューここだよ」いつの間にか、戻って来たモロボシさんが言った。「そんなに高くないでしょ?」ペペロンチーノは、セットで950円だった。

「それ、お願いします・・・コーヒーで」

「僕は紅茶」

世間がここのところ、少し見えてきた亜美は、思った。(紅茶を、頼む男性は珍しい・・・しかも、こういうところで・・・)

(DEPTは、意外と、ブルジョアの集まりなんだ・・・皆の服装や鞄を見ても、それと分かる)

亜美にとっての、それはーDEPTはー初めての世間からのX'masプレゼントだった。

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第二十八章

籠の鳥ーJAILBIRD-


次の朝、亜美が珍しく上機嫌で目を覚ますと、父親の声が階下から響いた。

「亜美、ちょっと来なさい」

亜美が、もたもたと、例の贅沢な外出着に着替えて、1階に下りると、ホリウチさんの姿がなかった。

「ホリウチさんは、辞めるそうだ」父親は、憂鬱そうに言った。

「新年までには、何とか次の人の都合をつける。・・・お前は、タリーズで朝食を取って、デイケアとやらに出掛けなさい。」

「はい」

それでも、亜美の浮き立った気分は消えなかった。・・・タリーズの、メープルシロップとホイップクリームのかかったフレンチトーストは、これまでのどの家政婦さんのトーストより、美味しいと亜美は思った。

しかし。

デイケアにつくと、深津サンの姿もなかった。・・・亜美が、半分びっくり、半分きょとんとしていると、珍しくどくとるマンボウが、3Fの階段を上って来た。

「深津サンは、休職されます」どくとるは宣言した。

「え・・・?ご病気ですか?」

「娘さんが、卵巣がんだそうだ。デイケアの職員は、木崎君一人になる」

「・・・」

「デイケアの、閉鎖も考えたが・・・。ここは、採算抜きで、患者を診ているところです」

木崎は、なにか言いたそうにしたが黙った。

「では、私は診察に出ます」

(また、一人、味方がいなくなった・・・)亜美が、しょんぼりしていると、木崎が顔を近づけてきた。

「亜美さん」

「はい・・・?」

「DEPTに、昨日参加したようだね。お父さんが、お礼を言っていたよ」

「父が・・・ですか?」木崎は、苦笑いした。「無論、ミーティングに出ていること自体ではないよ。しかし、夜歩かれると心配だそうだ」

「はい」

「それで・・・ALAは、止めたの?」

「わたし、自分で自分の参加するグループ、決めたらいけないんですか?」

木崎の唇が、これを聞いて少しゆがんだ。「むろん、君の自由です。が・・・」

「が?」

「僕はもう、ミーティングの紹介はしません。自分で、PCで調べること。・・・それから、これからは嵯峨さんと呼びます。」

そう、言い捨てると、木崎は廊下に出て行った。亜美は、追った。

「木崎さん」

「これからは、君の面倒だけは見られません。僕の役目は、デイケア全員の回復をサポートすることです」

「・・・」

「もう、廊下で話すのもやめましょう。デイケアの部屋に、戻りなさい、嵯峨さん」

亜美は、なおしゅんとして、珍しく嫌いなウノを懸命にした。木崎は、出来るだけ亜美の方をみないようにしていた。

3時きっちりに、デイケアは終わった。

くたくたになった亜美が、家につくと、父親が、自分の食べた皿を自分で洗っていた。亜美の方を振りかえった父親は、少し勢いの衰えた声で、言った。「30日には、新しい人が来る。今日は、なだ万の弁当を取った」

父親と二人きりで無言で食べる、その夜のなだ万の、お弁当は、不味かった。・・・デイケアの、300円の仕出し弁当より、ずっとずっと不味かった。

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第二十九章

籠の鳥ーJAILBIRD-


憂鬱な、その年の瀬が過ぎた。

大晦日になって、ようやく桂さんはやって来た。

「秋村桂子です。よろしく」

そう言って、桂さんはこのすさみきった台所で、明るい笑顔を見せた。・・・40ちょっと過ぎに一見見える桂さんは、実際はあと1年で60才だった。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

そう言って、また桂さんはにっこりした。「何が、食べたい?」

「え・・・」

亜美は、びっくりした。自分の好みを、人に聞かれるのは初めてだった。

「冷蔵庫の中身からして、そんなに大したものは出来ないけれど・・・。おせち、何が食べたい?」

「これこれ」

父親が、割り込んだ。「そんなものは、デパートで買ってくればよろしい」

「経済ですよ」桂さんは、言った。

「わたし、錦玉子が食べたいです」

「・・・分かった。それだけ、スーパーで買ってくるわね。あとは、煮しめを作りましょ」

桂さんは、そういうと、派手な黒のTシャツとジーンズに、エプロンをして、あたふたと出かけて行った。

「ふん、いい人そうじゃないか。・・・さて、私はカラオケに行ってくる」

父親も、玄関から姿を消した。亜美は、玄関マットの上に座り込んで、この信用出来そうなヘルパーさんの帰りを、待った。

30分ほどして、大きなスーパーの袋を抱えて、桂さんは帰って来た。

「あらまぁ、そこで待ってたの?」

「はい」

「ちょうどいいわ。ちょっと、手伝ってね」

亜美は、桂さんと一緒に、スーパーの袋の中身を冷蔵庫に詰めた。桂さんは、ブラックコーヒーの缶を中から1個取りだすと、ごくんと飲みほした。

「飲む?」

「はい・・・ええ」

亜美も、真似してブラックコーヒーをラッパ飲みした。「お砂糖、欲しいです。それとミルク」

「おこちゃまねぇ。ま、いっか。ガムシロは今度買ってくるわ」

桂さんは、牛乳をグラスに注いでくれた。亜美は、そこに缶コーヒーの中身を入れた。桂さんは、それを見て言った。

「今度、家にある、コーヒーメーカー持ってくるわね。淹れ方、教えてあげる」

すっかり、嬉しくなった亜美は言った。「ありがとう」

「いいのよ。さてさて・・・」

桂さんは、手際良く鍋を火にかけると、だしを入れた。「亜美さん、疲れた?」

「ええ、少し・・・」

「ずっと、待ってたんだものね。いいわよ、寝てて」

亜美は、1週間ぶりにほっとして、自室に上がった。PCを開きかけたが、途中でやめてしまい、珍しく古いCDをかけた。イーグルスの、「デスペラード」を聞いていると、階下から声がした。

「お味噌汁、出来たわよ。あと、年越し蕎麦も買って来たわ」

何だか、急にホームドラマの世界に迷い込んだみたい、と、亜美は思った。桂さんの、白いご飯とお味噌汁と、さんまは美味しかった。

「スーパーで、天ぷらも買って来たわよ」

(スーパーで、天ぷらを買う・・・?)亜美は、内心不思議に思いながら、ビニールの袋を覗き込んだ。

「桂さん、子どもいらっしゃるの?」

「あはは、もちろん、いるわよ。旦那とは離婚したけどね」

「ごめんなさい」

「いいのよぉ」桂さんは、また笑った。

「この家に来るまでは、W市の大きなショッピングセンターの会長の家にいたのよ。・・・それから、ヤクルトおばさんやったり、ニトリで働いたり、何でもしたわよ」

「・・・うん」

「人間、何やったって、生きて行けるってね」

「うん」

「わたし、結構面白い人生送って来たよ。さて・・・。亜美さん。そばつゆ、作ってみる?」

「出来るかな・・・」

「無理は言わないわよ。自信なかったら、横で見てなさい」

亜美が、年越し蕎麦作りを見物していると、電話が鳴った。「お母さんかな・・・」

「え?」

「いいの、いいの。出ちゃいけないって、お医者さんに言われてるの」

「ふぅん」

桂さんは、蕎麦を取り出して言った。「色んなことがあるよね」

亜美は、ぽろぽろ涙がこぼれてきた。

「どうしたの?」

「ううん、ううん・・・」

「無理しなくていいよ、亜美さん。また、部屋でイーグルス聞いてなさい」

「知ってるの・・・?」

「わたし、結構気が若いのよ。・・・そうだ、亜美さん、古い映画好きなんだって?」

「え?ええ」

「『五つの銅貨』、あるかな。大好きなの」

「・・・探してみる」

亜美は、書庫に行った。『五つの銅貨』は、なかった。再び、PCを開き直して、アマゾンで検索すると、少々高かったが中古のVTRが売りに出ていた。亜美は、即座にカートに入れた。

(これに、しよう・・・。)

亜美が、初めて信用する人にあげるプレゼントだった。

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第三十章

籠の鳥ーJAILBIRD-


あっと言う間に、楽しい三が日は過ぎた。

桂さんは、4日に、デパートで福袋を買ってきた。「亜美さん、開けてみなさい」

「いいの・・・?」おずおずと、亜美はたずねた。

「あはは、いいのよ。3千円が2千円になってたから」

亜美が、袋を開けると、白いボンボンのついたニットのトップスと、スキニージーンズと、アクセサリーが数個出て来た。亜美は、息をつめた。

「気に入ったら、着てね」

「でも、本当にいいの・・・?」

「お父さん、食費をやたらとくれるからね。倹約、してるのよ」桂さんは微笑った。

「ありがとう・・・」

亜美は、その白いニットと、ジーンズと、王冠型のイヤリングで、初めて、新年のDEPTの「分かち合い」に、出掛けた。


そして3ヶ月が過ぎた。

春は、もうそこまで来ていた。

亜美は、髪が伸びた。桂さんの見よう見まねで、自分で洗濯機を回す事を覚えた。それから、コーヒーメーカーの使い方も。

しかし、デイケアは木崎の思い通りに進んでいなかった。深津サンが辞めてから、メンバーは一人、二人と減り、今では、毎日顔を出すのは、亜美と、50代の気難しい小母さんだけだった。

「木崎君はねぇ」どくとるマンボウは、言った。

「はい」

「『回復』に、熱心過ぎるんだよ・・・。これでは、年度末にはデイケアは、残念ながら閉鎖だ」

(閉鎖?閉鎖・・・?)

その日、亜美は思い切って、午後5時にデイケアを訪ねた。木崎は、まだ書き物をしていた。

「嵯峨さん」

「デイケア・・・終わるんですか?」

木崎は、苦笑いした。「そのようだね」

「わたし・・・困ります」

「ここに」木崎は、デスクの引き出しを開けた。「他の、デイケアのマップがあります。あと、作業所のリストが・・・」

「作業所・・・?」

「君の、居場所が、そこで見つかるかどうか、僕には見当がつかないが」

亜美が、沈黙していると、木崎は言った。

「最後に・・・」

「?」

「君の、お父さんに言いなさい。『君が、困っているなら、僕には助ける用意があると、木崎さんが言っていた、と。』」

「今・・・?」

木崎は、無言で待っている。亜美は、1ヶ月前、ようやく買い換えてもらった携帯電話を震える手で、押した。

「もしもし、お父さん・・・」

「何だ、亜美」

「木崎さんが・・・私が、困っているなら、助ける用意があると」

「分かった」

電話は、すぐに切れた。亜美は、仰ぐように木崎の顔を見た。しかし、木崎は腕組みをしている。

「あの・・・」

「君は、いつものように処置室にいなさい。僕は、デイケアの部屋でお父さんと面談します」

亜美は、30分処置室で待った。・・・階段に、足音と二人の声が聞こえた。二人は、デイケアの部屋に入って行ったようだった。

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第三十一章

籠の鳥ーJAILBIRD-


15分が、経った。

亜美は、もう待ち切れなかった。デイケアの扉を、思い切ってバンと開けた。・・・そこでは、亜美の父親と木崎が、論点の要旨に入っているところだった。

「お嬢さんは、アスペルガー症候群だと思います」

「勝手に、訳の分からん病名を増やすな」

「・・・ですから、ここではきちんとした診察は受けられないんです。ここにメモした、相談機関で、専門医にかかって下さい」

「職務逸脱だ」亜美の父親は、声を荒げた。「君は、医者なのか?」

「・・・」

「お父さん・・・。もう、やめて」亜美は、割り込んだ。木崎は、冷然としていた。

「もう、帰りましょう」

「そう、しよう。・・・しかし、その前に先生に一言言っておく、このことをな」

「やめてよぉ」

「頭痛がするんだろう・・・。この、男のせいだ。この男の」

亜美は、2Fに駆け下りて、他の患者も構わず、診察室のドアを叩いた。

「先生」

どくとるマンボウは、顔色も変えずに出て来て言った。「あと5分待って下さい」

5分、経った。亜美は、診察室のドアをぶち破る勢いで開けた。亜美の父親が、後ろに続いた。

「どうしたんですか」

「木崎さんが・・・。私は、アスペルガーだと・・・」

「あの男は、ペテン師だ」亜美の父親は、吐き捨てるように言った。

「そりゃあ、頭痛もするだろう」どくとるは、憐れむように亜美を見た。

「もう、お帰りなさい。3月末で、デイケアは閉鎖です。・・・」

亜美は、父親に付き添われてタクシーに乗った。・・・頭は、破裂しそうにガンガンしていた。



4月に、なった。

木崎は、クリニックから姿を消した。

亜美は、ただ部屋で、呆然としていた。作業所のリストを、結局貰い損ねたことにも気づいていなかった。

(また、行くところがなくなった)

桂さんは、そんな亜美の気持ちをよく見ていた。「亜美さん、映画見ないの・・・?」

「え?」

「面白いの、沢山あるわよ」

その春から夏は、桂さんとの映画通いで暮れた。・・・亜美は、スクリーンで見る、少女達に息をのんだ。特に、気に入ったのは、自閉症の少女と、聾唖の青年の映画だった。自分の姿を、初めて自分で見たような気がした。

映画の帰りには、いつも桂さんと二人で、アイスクリームを食べた。抹茶とピーカンナッツのアイスクリームは、ほんのり苦かった。

「作業所、か・・・」

高校の、同じ病に倒れた友達が、作業所に通っていると聞いたのは、その年の夏の終わりだった。

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第三十二章

籠の鳥ーJAILBIRD-


「作業所、ねぇ」

朱実さんは、その土曜のDEPTのフェローで、相変わらずマルボロをふかしながら言った。

「いい、思いつきだと思うけど・・・アレは、結構きついよ。あんた、つとまるの?」

「え・・・」亜美は、躊躇した。

「私もさぁ」別の人が言った。

「鬱で、再入院した後、行ってたことあるわよ。でも、会社と同じよ。毎日仕事があって、出来る人と出来ない人がいる」

その晩、亜美は友人に電話をかけた。

「こんばんわ・・・」

「やぁ、亜美ちゃん。さゆりだよ」懐かしい声が、返って来た。「何年ぶり?元気にしてる」

「ええ」

「よかったぁ。・・・私、今、作業所通ってるの」

「そのことで、ちょっと・・・」

「もしかして」勘のいい、さゆりちゃんは言った。「来たいの?」

「うん・・・。でも、作業、きついの?」

「そんなことないよ」さゆりちゃんは、はっきり言った。「そういうとこもあるけどね・・・。ヴィーボはそういうとこじゃないよ。他の作業所は、内職が多いけど、ヴィーボは『居場所』を作るところなんだよ。もちろん、働かなくちゃいけないけれど」

「ふぅん」

「あ、ヴィーボってね、作業所の名前」

「うん。・・・どんなこと、するの?」

「調理実習や、針仕事や、あとお菓子作り。・・・男性は、清掃作業とうどん作り」

(お菓子・・・)

さゆりちゃんは、亜美が考えたとほぼ同時に言った。「亜美ちゃん、高校時代、お菓子作るの好きじゃなかった?」

「うん」

「出来なければ、休憩していてもいいんだよ。・・・ヴィーボはそういうところ」

亜美は、その後少し近況を話した。さゆりちゃんは、言った。

「ミーティング、かぁ・・・。私も一度、カウンセラーに薦められたけど」

「どうだった?」

「あんまり、合わなかった」さゆりちゃんは少し小さな声になった。「ヴィーボは、いいとこだよ」

「ありがとう」

亜美は、電話を切った。・・・弟のゆうが、いつか言っていた言葉を思い出した。ゆうは、アイヌの手工芸品に興味があって、自分でも作ってみたいので、北海道に行ったのだ。

「お姉ちゃん。何でも、手先を動かすのが一番だよ。」

(さゆりちゃんに、紹介してもらえるかなぁ・・・ヴィーボを)

亜美は、ふと思い立って玄関で靴を履いた。

「亜美さん、どこいくの?」すっかり家族の一員になった、桂さんが聞いた。

「ちょっと、スーパー」

「珍しいこと。・・・そしたら、ピーマンと葱、買ってきてくれる?あと、500円くらいだったら、Tシャツ買ってもいいわよ」

「ありがとう」

しかし、亜美は衣料品売り場ではなく地下で、欲しいものを探した。(あった・・・)

「お客さん、ピーマン1袋124円、葱1束98円、チョコレートブラウニー1箱498円」

「はい」

亜美は、ビニール袋を抱えて帰路を急いだ。

(箱入りの、キットなら簡単な筈だ・・・。今夜、焼いてみよう、ブラウニー)

その夜、久しぶりにオーブンで焼いた、くるみ入りのブラウニーは、少し焦げたけれど美味しかった。

「亜美さん、私はお菓子は苦手なのよ。・・・だんだん、未来が開けてきたじゃないの」

「うん・・・」

「おいしいな」父親も、ぼそっと言った。

「作業所、行くの?」

「行きたい」亜美は、珍しくはっきり希望を言った。「さゆりちゃんの、行ってる作業所・・・」

父親は言った。「行くか・・・。センセイに、相談してみなさい」

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第三十三章

籠の鳥ーJAILBIRD-


しかし、診察日を待つまでもなく、大ヶ丘先生の面談の日がやって来た。

「ヴィーボか。うむ、知っているよ」

「本当ですか?」亜美は、身を乗り出した。

「すぐここのそばにあったからね。・・・今は、U区に移転したようだが。あそこをやっているご夫妻は、人格者だよ」

「ご夫婦・・・?」

「ああ」大ヶ丘先生は言った。「夫婦で経営なさっているんだ。もし、行きたかったら区役所の支援課に相談なさい。・・・ドクターの許可を取ってね」

どくとるマンボウも、言った。「いい、事だが。亜美ちゃん、体力続くかな・・・?」

「はい」

1週間後。残暑のきつい火曜日に、支援課の職員と亜美は、家から30分歩いた、住宅街の雑居ビルの前に立っていた。品のいい感じの老紳士が、ビルの前で箒と塵取りを持って、道路の掃除をしていた。

(掃除のおじさんかなぁ・・・)と、思いながら亜美は挨拶した。「こんにちわ」

紳士は、軽く目を上げて言った。「はじめまして。新しい人かな・・・?」

「は?」

「ヴィーボの田中です」

亜美は、慌てた。「所長さんですか・・・?」

「そうですが」

「すみません。」亜美は、真っ青になって言った。「今日、入所の面談に来ました嵯峨です」

「わたくし、支援課の杉江です」

「聞いとるよ。まぁ、入りなさい。・・・外は、暑い」

中に入ると、部屋はごたごたしていたが、想像していたよりずっと広くて綺麗だった。亜美は、ブラウンのソファに、杉江さんと一緒に腰を降ろした。すぐに、てきぱきした感じの老婦人が、入って来た。

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」田中夫人は、にこっと笑った。「田中芳子です。家の人、掃除のおじさんだと思ったでしょう?」

「いえ・・・」

「いいの、いいの。・・・この人、ここの用務員さんだから。それで、さゆりちゃんの昔のお友達?」

「はい」

「ヴィーボというのはね」田中夫人は、急に真剣に言った。「『生きる』という、意味です」

「はい・・・」

「あなた、お菓子作り好きなのかな?」

「はい。・・・あの、なんとお呼びすれば・・・」

「ここでは、芳子さんと呼ばれているわ」

「芳子さん」

「はい?」所長さんは、黙って話を聞いている。

「私、針仕事は、苦手で・・・」

「コーヒー、入れられる?」

「それは、出来ます」

「よかったわぁ」芳子さんは、言った。「誰でも、まずコーヒーからね。今日から、淹れてみる?」

「おいおい」所長さんは、言った。

「1杯150円なのよ。今月の末までは、アイスコーヒーね。それで、お給料も出るの」

「お給料・・・」

「働いていたこと、ある?」

「アルバイトなら、あります。・・・もう、15年前ですが」

「じゃ、話が早いな」

亜美は、おずおずと隣の調理室に入った。皆、三角巾とエプロンをして、忙しそうに立ちまわっている。「嵯峨です・・・」

「こんにちわ」

「こんにちわ」みんなが、こっちを向いて挨拶してくれた。亜美は、心底ほっとした。桂さんが買ってくれた、TシャツとユニクロのGパンのお蔭かも知れない・・・。

亜美は、おぼつかない感じで、芳子さんの指示する通りに、4杯のアイスコーヒーを作った。足の力が抜けてふらふらになった。

「なかなか手際いいじゃない。・・・運ぶのは、他の人にやってもらうわ」

(桂さんの、コーヒーメーカーのおかげだわ・・・)亜美は、ぐったり椅子に腰を降ろした。

「おいしいよ」

「おいしい」

気さくに、みなが返事をしてくれた。・・・嬉しかった。しかし、こんな人ごみの中で働くのは、本当に15年ぶりだ。

「疲れちゃったかな・・・」芳子さんは、昔見た洋画の女優の、ジーン・アーサーのように笑った。

「はい」

「今日は、ここまで。面談室に、戻りましょ」

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第三十四章

籠の鳥ーJAILBIRD-


「ふぅむ」亜美の話を、面談室で一通り聞いた芳子さんは、言った。「色んなことがあったのねぇ」

「はい・・・」

「あなたの問題点は」

「はい」

「第1に、お母さんにあなたへの嫉妬があること。第2に、お父さんと意思の疎通がないこと。第3に、男性関係・・・。すぐに、親切にしてくれる人に依存感情を持つ。そんな感じかな」

「その、通りです」

「そうね」

(この人は、頭がいい・・・。これまでの、カウンセラーはみな、私に手玉に取られていたのだ)

「亜美さん」

「はい」

「今の貴女が、どんな男性と付き合っても、うまく行かないと思うわ。・・・自助グループは、暫く控えた方がいいと思う。あそこは、問題のある人間の、ふきだまりだから」

「でも・・・」

「働くことを覚えるのが、第一よ」

「・・・」

「それに」芳子さんは、続けた。「自助グループと言うのは、本名は明かさないのでしょう?」

「ええ・・・」

「大変、危険よ。大ヶ丘先生の方針も、分かるけどね。・・・貴女は、まず挨拶や人間関係に慣れることの方が、大事だと思うわ」

亜美は、初めて沈黙して考えた。(そうかも、知れない)

「とにかくね」芳子さんは、続けた。「今は、お菓子作りの手が足りないの。・・・それに、貴女のアイスコーヒーの味、わたし気に入ったわ」

西日の差す、帰り道、杉江さんは言った。「どうします・・・?」

「行きます・・・行きたいです、ヴィーボ」

「まぁ、ゆっくり考えて答えを出して下さい」

亜美は、部屋に戻るとベッドに寝転がった。・・・何となく、今までより落ち着かない感じがした。

(理解してくれる人がいる空間と言うのは、落ち着くものなのだ)

(ここは、落ち着かない)

(まるで、鳥籠・・・座敷牢のようだ)

桂さんの、暖かい声がした。「ご飯よ」

しかし、それに続いて父親の不機嫌な声もした。「夕飯だ、亜美」

亜美は、電話の子機を取って言った。「今、食べたくないわ。・・・後で、食べる」

「仕方ないわね。今日はとんかつなのに」桂さんの残念そうな声がした。

(あの父と、ご飯を食べたくない・・・食べたくない)

「桂さん」

「ん?」

「明日から、料理の、特訓して。お願い。・・・わたし、何とかヴィーボへ行きたいの」

「分かったよ。亜美さん。・・・まず、お味噌汁から教えてあげる」

それは、亜美が初めて自分の意思を持った時だった。

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第三十五章

籠の鳥ーJAILBIRD-


それから。

亜美の、「戦闘」が始まった。

まず、起きてシャンプーして顔を洗う。TシャツとGパンに着替える。・・・桂さんに「おはよう」と挨拶をして、湯を鍋に沸かしてだしを入れる。沸騰したら、豆腐とわかめを入れて、味噌を入れて火を止める。

三人で、気まずい朝食を取る。

それから、自転車に乗って15分、下り上りの多い道を、作業所へ急ぐ。

「おはようございます」

「おはようございます」

全員の挨拶。・・・それから、調理実習。亜美は大根の切り方と、ぶりの焼き方を覚えた。

昼は、コーヒーだ。

豆をミルでがりがりと轢く。・・・粉を、メーカーに入れて汁がぽたぽたと垂れて来るのを待つ。その間に、カップを温めて、スプーンと砂糖とミルクを添える。

所長さんは、いつもブラックだ。だから何も添えなくていい。

そして、午後はお菓子作り。

ブールドネージュと言う、アーモンドを刻んで粉砂糖をたっぷりまぶした、クッキーの一種を、皆で作る。小麦粉と粉砂糖を、網でふるって、バターとミキサーで混ぜ、アーモンドを入れて丸める。・・・冷蔵庫で少し寝かせた後、10gずつ小さく丸めて、オーブンで焼く。そして真っ白になるまでまた粉砂糖をまぶす。

1ヶ月後、へとへとになった亜美の元に1枚の封筒を芳子さんは渡した。「お給料よ。初めての月にしては、随分頑張ったわ」

中には、4736円入っていた。

「ありがとうございます」

亜美は、一礼して受け取ると、帰り道で、駅前のパワーストーンの店の前で、足をとめた。

「いらっしゃいませ」感じのいい女性が、挨拶してくれた。

「あの・・・。4千円台で、ブレスレットが欲しいんです」

「石の、選び方によりますけれども・・・。何とかしてみましょう」

迷った末、亜美はアメジストとブルーレースアゲートとローズクォーツの組み合わせを選んだ。

「いいですよ。『恋愛』と『交友』と『健康』です」

(これを、自分の初めてのお守りにしよう・・・)

秋は、もうそこまで来ていた。

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第三十六章

籠の鳥ーJAILBIRD-


3ヶ月、経った。

時は、11月だった。

亜美は、見違えるように痩せた。どくとるマンボウが、処方した新薬のせいもあるだろう・・・。

体力が、徐々に徐々に回復し、作業所が休みの日には、またDEPTにも参加できるようになっていた。

しかも、今度は土曜の午前でなく、火曜日の夜に。・・・これは桂さんの後押しだった。

「夜でも、A教会なら、危なくないですよ。駅からすぐですし、私、あの辺で働いてましたから・・・。」

実際最初、夜6時の列車に乗るのには、亜美にはかなりの勇気が要った。が、A教会は、実際繁華街の近くではあったが、駅前の書店の並びで、尖塔が奇麗なところだった。

分かち合いは、きっちり7時からだった。もっとも、メンバーは半分以上土曜とだぶっている。

ある夜。

亜美は、妙にくたびれた格好で、床に座り込んで話を聞いている青年を発見した。・・・ここのところ、DEPTは盛況で、椅子が足りないのだった。

彼は、真っ赤なストールを首に巻いていたが、皆の話を聞くのも辛そうにしていた。

その次の火曜も。次の火曜も。

A教会のDEPTのフェローは、駅前のケンタッキーフライドチキンでするのが、普通だった。

亜美は、例の朱実さんと、あとハンナさんという初老の女性と、主に話していたが、その夜は、赤いストールの青年が、声高に話しているのが、どうにも気になった。

「俺さ、それで、時計屋勤めてるの・・・。心理学、大学でやってたから、お客の心理はすぐに分かる。そこでどう、客に割って入って、売るか、ね・・・。」

(この人・・・働いているんだ)

「それで・・・詩も書くよ」

彼は、ふいに亜美の方を向いて言った。「あんた、詩、好き?」

「私・・・少しだけ」

「意外」

ストールの青年は、携帯を出すと、画面を亜美に突き付けた。「どう?この詩」

『優しさをいつも

君は左手にぶらさげてるから

右利きの僕はいつも助かってる

でもほんとは右利きの君に頼みごと

どうか僕の前でだけ内緒で

これからも左利きでいてくれない?』

亜美は、何と言っていいか分からず、つぶやいた。「格好いい」

「私も・・・昔、1個だけ書いたのが残っているんだけど」亜美も、携帯をもぞもぞ検索すると、青年に見せた。

『桜ちるちる

さくら散る

男のわがままも

女の自分勝手も

みんなかくして

桜散る』

青年は、ぼそっと呟いた。「可愛い。・・・君、メルアド教えてくれない?」

亜美が、携帯と悪戦苦闘していると、青年は言った。「赤外線ポートって、ない?」

言われるままに2つの携帯を、重ね合わせると、ふっと情報は通じた。

「さようなら」

「さようなら」

もう、ケンタッキーおじさんは、サンタクロースの扮装をしているのが、帰りがけに分かった。・・・赤いストールは、交差点を斜めに渡ると、人ごみに消えて行った。

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