にがくてあまい午後

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現実の林檎

現実の林檎

暑い暑い夏が終わろうとしていた。
「HappyBirthday,敦美ちゃん」
 あたしの前には、湯呑み茶碗に注がれた珈琲と生クリームの乗っていない売れ残りのシフォンケーキが一個だけあった。
「もう、めでたいって年をそろそろ過ぎました」
 就労支援所はいつものようにごったがえしている。面談室はパーテーションで区切られた部屋の一角で、このぼろいビルには不似合いに観葉植物と小さな白い丸いテーブルが一つと椅子が二つ置かれていた。
「それで、相談だけど、何?」
「はい。……ソーシャルワーカーの大村さん、最近姿が見えませんが」
「ああ、辞めたのよ」
「辞めた?」
「ええ」万梨子さんは肘をついて言った。「だから、これまで通りあなたの担当は私に戻るの」
「そうですか……」
 外から脅えたようなノックがとんとんとあった。
「困ってる子いっぱいいるからね他にも。敦美ちゃん、ケーキ持って出て。今日はこれでお終い」
 あたしは拍子抜けして就労室に出た。旧型のクーラーが全開運転しているけれど、かなり蒸し暑い。
階段を降りると、あたしは1Fにある店舗に何となく足を向けていた。「あら」「こんにちわ」
 店舗は、シフォンケーキの甘ったるい匂いとジャムを煮る香りで充満している。片隅に、あたしも参加している手芸のコーナーがあった。
「あれ」
「?」
「林檎……売れたんですか?」
「ああ、敦美ちゃんの作ったパッチワークの林檎ね」何故か、食品担当の枝川さんは話をそらすように言った。「一個、売れたわよ」
「お邪魔しました」
 店舗の外に出るとかあっとした陽光が肌を刺すようだった。昼下がりのきつい日差しの中を、自分のマンションに向かって自転車を漕ぎ始めた。

 大村さん。
 今年の四月に、ふらっと現れた新任の人。
 背は高くない。ただ、痩せぎすな体に丸い目が印象的だった。
 ロンドン五輪の頃、忙しそうに立ち回っていた大村さんはふっと姿を消した。あたしは、こっそり食堂の給食の予定表を見たけれど、普通に「大村」と他の職員や施設員に混じって苗字は几帳面そうな文字で書かれていた。その日も次の日もその次の日も。
 だけど大村さんはそれっきり来なかった。
「敦美ちゃん、頑張ってるね」大村さんの声がフラッシュバックした。
「端切れで林檎作ってるの?」
「ええ、でもまつり縫いあたし苦手で。ぼこぼこで」
「はは、僕が一個買うよ」大村さんは何気なく言った。「ありがとうございます」

 マンションに帰ると、やっぱり死ぬほど暑かった。冷房を入れて、冷蔵庫から氷とカルピスと水をグラスに注いで飲んだ。……それから、(少し熱いかな)と思いながら、鶏の冷凍を唐揚げにして、氷水に浸したレタスと胡瓜とプチトマトと一緒に皿に盛った。昨日の南瓜の煮付けを小鉢に盛ると、インスタントの味噌汁と白飯を用意して待った。
 父親は、いつものように五時半にやってきた。
「いらっしゃい」
 あたしと父親は、黙って狭いダイニングで夕食を食べ始めた。
「あのな」
「ん?」
「羽角君、ここに来たのかね」
「ええ」
「先週の土曜かい?」
「そうよ」
「やめとけ」唐揚げを噛みながら父親はぼそっと言った。「あれはいい子だが、金が目当てだ」
「わかってる」
「福島から出てきて、無職なんだろう?」
「……就職浪人よ」
「この不況下、いくら資格があっても引く手あまたという状態ではない」
「わかってる」
 わかってるってば。

 あたしはその晩、羽角の優しい愛撫を思い出していた。それは、いつまで経っても躰にまとわりつくようなものだった。
 羽角は。
 彼の父親が、中学時代母親の鼓膜を破るほど殴って失踪した後、高校に進学する金がなかった。「そんな男がさ」
「え?」
「エリートになれる道がひとつだけあったんだ」
「何それ?」
「企業内学校だよ」
 羽角は、元東電マンだ。あたしが、大学を中退して家でごろごろと鬱を発症していた頃、羽角は「東京電力東電大学高等部」に入ったのだ。だから、あたしたちには六歳の年の開きがある。
『この国の富増すために
 エネルギー源絶えずおくる
 大電力のこの学園
 肩くみかわす君と僕
 おおわれら東電の
 明日の担い手 明日の担い手』
 東日本大震災の後、よく羽角は自虐的にそんな歌を唄った。
「やめてよ、それ」
「だって、もう覚えちゃってるんだもの校歌」
 勘のいい羽角は震災の一年前に、福島原発に見切りをつけた。そして同時に苦労して精神保健福祉士の資格を取った。そこまではよかった。だがそこまでだった。
「敦美、お前のいる就労支援所で職員の空き、ないか」
「ないわよ。……自分で探してよ」
「つれないな」

 その翌日。
 あたしはまた無意識に面談室のドアを叩いていた。
「やれやれ、敦美ちゃんまでノイローゼなの?」昔証券ガールだった万梨子さんはてきぱきと、少し冗談めかして言った。
「あのう……」
「?」
「あたしの林檎、誰が買っていったんですか?」あたしは万梨子さんの目を真っ直ぐに見て言った。
「さあ」
「大村さんじゃ」
「あの人ね」万梨子さんは急に椅子を引き付けて真剣に言った。「あなた、口が固いから言うけど」
「はい?」
「アルコール依存なの」
「……」
「やっぱり、この国の人じゃないから無理してたんじゃないかしら」万梨子さんははっとして口をつぐんだ。
「……帰ります」
 本当は、あたしはこっそりフェイスブックでやり取りして、大村さんの国籍はとっくに知っていた。何となく職員の間で孤立しているらしい空気とか、お魚のホイル焼きにたっぷりマヨネーズをかける姿を見て、何となく気づいてはいたことだった。竹島事件が話題になりだした頃だった。
 

 翌日は水曜日だった。クリニックの日だ。待合室にある、「DV夫と結婚して家庭崩壊」という記事を、多少げんなりしながら読んでいると順番が来た。
「今日は薬の量は同じね」
「あのう……今、付き合っている人のことですが」
 ハンサムな医師は無表情とも言える顔で言った。「僕もお父さんと同じ意見です。その羽角君を君のいる就労支援所に紹介しても、君が彼とのマンションの同居を強行する限り、彼がまっとうに働くとは思えません」
「……」
「それはやめなさい」医師はきつい語調で言った。
 でも。
 医師は、あたしの表情を見抜いたように言った。「君に必要なのはお父さんと距離を置いて就労することです」

 あたしはその晩、ぼんやりとフェイスブックからも姿をくらました大村さんの事を考えていた。
「敦美ちゃん、頑張ってるね」
「ええ」
「今日、皆が打った讃岐うどんなの。残ったから二つ持って帰って」
「いいんですか?」
「ふふ、内緒ね」
 その晩茹でた讃岐うどんは少し硬かったけどおいしかった。
 大村さん。
 今頃、閉鎖病棟で戦っているに違いない。アルコールの悪夢と。
 大村さんが、自立支援法の施行以来、就労一辺倒に傾いてぎすぎすしてゆく支援所の人間関係の緩衝材になっていることを、あたしは誰よりもよく知っていた。
「精神障害者が働けないと言うのは甘えです。全員の就労を目的とします」
 万梨子さんがそう宣言してから、支援所の半数が辞めた。四分の一はもっと実入りのいい就労支援所に移った。……そして、羊のように大人しく、支援員の言う事を右から左へ聞く何もできない重篤患者だけが残った。
「あなたたち見てると、本当に自分は幸せだと思うのよ」
 新しい裁縫担当の支援員は平気でそんなことを言った。長年の重篤患者の苦痛に黙っていつまでも耳を傾けているのは大村さんだけだった。
 だけどその大村さんが今、いない。
 あたしは寝返りを打ってはっと気が付いた。
 今までのBFは皆、あたしの体か、お金か、それとも食事を作ってくれる女中が欲しかったのだと言うことに。
 だけど大村さんは、牢屋のような(あたしはよく知っている)閉鎖病棟の中で、あたしの苦労して作った五百円のパッチワークの林檎と一緒にいる。
(大村さん!)
 あたしは生まれて初めてなんだか赤子のように激しく泣いた。

 次の土曜日。あたしはいつものように部屋で昼食を食べている羽角に言った。
「純一」
「ん?」
「空き、出来たわよ、支援所に」
「ほんとか?」
「ええ。……あたし、あそこやめるわ。それで絵本に集中する」
「……嬉しいよ」
 その晩、羽角はあたしにめずらしく激しいセックスをした。羽角自身がはっきりあたしの内側に吸いつくくらいのセックスだった。

 朝。
 起きると、ベッドサイドに飾ってあった売れてしまった林檎とお揃いのパッチワークの林檎がなかった。
「羽角」
「ん?」
「ここにあった林檎、知らない?」
「げ、俺の服と一緒に洗濯機に放り込んだかも」
 あたしは慌てて洗濯機を覗いた。林檎は勢いよく服と一緒に回っていた。取り出そうと手を差し伸べた瞬間、林檎はぱあんと音を立ててばらばらになった。
「うああん」
「どうしたよ敦美」
「林檎が……」あたしは子供のように泣きじゃくった。
「ごめん、大事なものだって知らなくって」羽角はパンツを穿きながら言った。「いったいなんなの?」
「なんでもない……なんでもない」あたしは洗濯機の縁をつかんでむせび泣いた。
 林檎は、ばらばらの端切れに戻った。
「羽角、ごめん。服、林檎に詰まってた綿だらけになっちゃって」
「いいよ俺のせいでもあるし」羽角は服を自分で干しながら言った。「それより大丈夫?」
「うん」
「何か思い出のものだったの?」
「ちがうよ」
 羽角はばつの悪そうな顔をした。あたしはハッと気づいて言った。「ごめんね」
「いいんだよ」
 羽角はいつものようにあたしが落ち着くまで、ずーっとハグをすると帰って行った。あたしはドアをぱたんと閉めて思った。
(わるいことした)
 あたしは、羽角が帰った後にその端切れを拾い集めて匂い袋に入れてクローゼットの一番奥にしまった。

 それからあたしは、万梨子さんに正式に挨拶をして支援所を辞めた。
「うちの羽角をよろしくお願いします」あたしは初めて、うちの、という形容詞を使った。。
 その帰り道。
 この区の沈みかけている議員が所有している雑居ビルにある支援所を、あたしは暫く眺めていた。1F2Fに精神障害者支援所、3Fに同和関係の事務所、4Fに共産党の議員の事務所のあるそのビルは立派なマンションのそろった街路に不釣り合いだった。
 だけど、あたしも大村さんもそして羽角もここで繋がった。
 天皇陛下を象徴とした日本からはみだした、いや邪魔にされた世間にうまく顔を向けられないあたしたちがでも、このビルの片隅でかろうじて息を吸ったり吐いたりして僅かなお金を貰って生きている。
 フリマの時には、食べ残しのヤマザキの菓子パンが平気でパック十円で売られているこのビル。g.u.でたまに買い物したって言うと「贅沢だ」って妬まれるから言い出せないほどのここの住人。どこにもいくところがなくってでもどこかへ行きたくてたまらないのに、その力のない人間の居場所になっている小汚いビル。
 あたしは交差点を一度渡って、もう一度引き返して、それから息を大きく吸ってビルに向かって帽子を取って最敬礼、した。
 ありがとう。
 ございました。

 それから。
 羽角は、支援所の近くにアパートを借りて支援員をしている。少し、肩幅の厚くなった彼は土日にはいつもマンションにやって来る。時折もう寒い日は、二人で毛布にくるまって丸くなって寝る。羽角はあたしのことを病人扱いしなくなった。
 あたしはと言えば、地方の信用のおける出版社からなけなしの自費で自分の絵本をやっと一冊出版した。帯文を知り合いの先生に書いてもらったせいか、その絵本は市の文芸賞の佳作を何とか取った。小説講座にも通うようになった。……休みの日には、羽角が持ってくる、もう冬に向かいだした支援所の煮ているジャム用の林檎の余り分を、芯をくりぬいてバターで煮てコンポートにしたりしている。甘いものが大好きな羽角は喜んでいつもよく食べる。
 その現実の林檎は、時々虫食いがしたり、茶色に変色したりしていたけれども、台所に置いてずっと見つめていると時折り不思議な光をあたしに放ってくるのだった。
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